せーじ

ぼくの名前はズッキーニのせーじのレビュー・感想・評価

ぼくの名前はズッキーニ(2016年製作の映画)
4.7
2018年2月1日に飯田橋で開かれた
filmarksの試写会にて鑑賞。
小規模な会場ながら、没入できました。

ぶっ飛ばされました。
可愛らしいビジュアルに反して、題材などからハードな作品だということはある程度予期していたけれども…その切れ味はものすごく鋭利で、エンドロールを観ながら唖然とするしかありませんでした。

…とはいうもののストーリーの骨子自体はとてもシンプルで、尺自体も長くはないうえテンポも軽快なので、さらっと観ようとするといくらでも流し見することが出来てしまう作品ではある。ではあるのだけれども、もちろんそれだけではなく、映画的なディテールや演出がふんだんに詰まっている作品だった。

そもそも、このページの最初に表示されるポスタービジュアルを初めて見る人はどう思うだろう?おそらくは「可愛い人形だなぁ」と思うはずだ。(人によっては不気味だなぁと思うかもしれないが)でもこの作品を観た後はちがう。いつの間にか「この子たちはよく知る子供たちじゃないか」と思うようになる。何故なら自分がそうだったから…。
そう、こんなにデフォルメされたキャラクターデザインなのに"生命無きものに生命を与える"ことに成功してしまっているのだ。それは、動きがリアルだとか、可愛らしいからという単純な話だけではなく、カメラワークや音響などを含めた全体的な演出が緻密に計算されているからだと思う。
もっと言えば、別に建物や内装、乗り物などがリアルに作りこまれている訳でもない。ないのにも関わらず、スルリとストーリーが体験として入り込んでくるようになっている。全く油断がならないのだ。
そして、そのように"生命"を与えられた彼らが、物語の中盤、皆で雪の中で黙ってこちらを見つめてくる「視線」や、エンディングに投げかけてくる数々の「問い」によって、観ているこちらに問答無用で鋭い刃を突きつけてくるのだからたまらない。何度か思わず、背筋が凍り着くような想いをさせられることになった。もちろん胸が熱くなるようなことも、思わず吹き出してしまいそうになるようなことがあったのも、付け加えておかなくてはならないが。

ただ、さらっと観ることが出来てしまうが故に、エンディング直前に訪れる「別れ」については、賛否両論、様々な意見が出されるかもしれない。
けれども自分は「彼ら」は事情は違えど未来が不確かなものであるという意味で、どこまでも分け隔てなく描かれているように思った。
あの叔母は、またぞろあの子を手に入れようと企むのかもしれないし、また違うあの子は、いつの日にか自分のお母さんを赦す日が来るのかもしれない。それは誰にもわからないことだが、ただ一つ確かなこととして「どんなに離れていても彼らはこの場で共に暮らした仲間である」ということはきちんと描けていたと思う。

ということで、ストップモーションアニメとしても、題材やテーマから見た作品としても、かなりの傑作だと思います。
ただし、中学生男子レベルの"エッチなセリフのやりとり"がちらほらありますので、そういうのを恥ずかしがる年代のお子さんと一緒に行かれるのは、ちょっと気まずい映画体験になるかもしれませんw
個人的には、それも含めての題材でありテーマだと思うので、万人におすすめしたい所存でございます。
せーじ

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