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三度目の殺人のmazdaのレビュー・感想・評価

三度目の殺人(2017年製作の映画)
4.1
二度目の殺人を犯して死刑もほぼ確定な男と、事実よりも勝ちにこだわる弁護士の法廷サスペンス。三度目の殺人をおかしたものは誰なのか?

家族間の問題やその関係性をテーマにすることの多い是枝監督、ハナレグミの口笛バックミュージックにじんわりあったまる空気が流れる前作『海よりもまだ深く』とは激しく対照的な冷たい空気が流れる今作に、是枝監督が心理サスペンス??っていう違和感だった最初。
けれど蓋を開けてみればやっぱり是枝映画だった。主要キャストだけじゃなく一人一人、人格や思考を伝えるように丁寧に掘 り下げられたそれぞれのキャラクター設定や、親と子という関係でこそ見えてくるかっこ悪い大人のプライドとちゃんと全部見ている子供の対比とか、細部でしっかり特有のこだわりが伝わってくる。

この三度目の殺人の殺人者というのは誰もがなる可能性があって、そういう視点で見た時、複数人"共犯者"がいると思う。
作中「あなたは加害者を罪と向き合わせない」という言葉を何度かきいたけど、その言葉をいっている人達こそ自分は外側の人間であるとでもいうような、傍聴人のような視点でものを言う。
殺人犯の息子と自殺した息子と精神病でくるった妻とそこに残された父を描く『葛城事件』での、はたして残された父は被害者と呼べるのか?という問題のように、法にのっとって裁くことはできなくても罪を犯してる人なんて溢れるほどいる。
誰かがいじめられている時、見て見ぬ振りをすることも、怖くて言えないこともそれは罪になる。事実と向き合わずに自分が楽な方を選択して、それによって苦しむ人がいたらそれはもう一種の罪だ。
世の中にはなんの理由もきっかけもなく殺したり死んじゃう人がいるのかもしれないけど、私には信じられない。必ずそうさせた何かがある。そうさせた何かというのはその罪に関与していることになると思う。生まれた時から決まってるんだよというその言葉がそうさせる1つの原因とさえ思えてしまう。
罪を裁き、人の人生の選択をかけられているその責任を彼等はどれだけ自覚しているのだろう。警察や裁判側からすれば、結局どの事件もたくさんある仕事の1つにすぎないが、その事件に関与した者たちにとってそうあることではなく、人生をかけるような決意をもって行動しているかもしれない。目配せして事を進める彼等はまるで公然の秘密だった。表面上でしか見極められない偽善者みたいな中で善悪が決められるのかと思うと恐ろしくなった。

『生まれて来なくてよかった人なんていない』の話のくだりがとても印象に残った。濁りのない大きな目で訴える満島真之介と、まるで昔は自分等もそう思ってたとでもいうような顔をする2人の先輩弁護士の考え方の違いの差がリアルだった。
もし仮にそう思われたり、自分が自分のことをそんな風に思ってしまったとしても、一人でも誰かが自分の死を惜しんでくれるのなら、それは生きてるべきだったんじゃないのかなって思う。生きるべきとか死ぬべきとか関係なく誰かは生き続けて誰かは死んでしまうから、だからこそ殺されてもいい人とか生まれてこなければよかった人なんていないっていえるだろう。判決後の広瀬すずの表情が印象的だった。変えることのできない間違いを目に焼き付けているようだった。
罪を犯してまで罪を裁こうとしたのか、罪を犯してまで罪から救おうとしたのか、どちらにしろ過ちなのだが、この映画が描きたいのは『三度目の殺人』のことであり、それまで起きた出来事の内容は結局過程にすぎない。事実を観るのではなく、事実の先にある意図に気づかなければいけない映画。

最初から最後まで役者それぞれの目で訴える演技というのがすごくて、役所広司の涙袋がとても優しい人間に見えて苦しかった。
終始シリアスな空気だったから、好きなおやじベスト5にはいる吉田鋼太郎が、寒くてカイロをスリスリしてるところがきゅんってきて一瞬緊迫感がやわらいだのもよかった。
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