八木

三度目の殺人の八木のレビュー・感想・評価

三度目の殺人(2017年製作の映画)
4.9
この映画は「つまりこういうテーマですね」と書くこと自体がヤボなところがありまして、感想を書くのが難しいところです。タイトルからどういう軌道に乗るのか全く想像できず、社会的なテーマの中の、わりとど真ん中に切り込んでいった上にそれがタイトルとつながっていったので、見る側の気持ちよさにも配慮されているように感じました。が、作風なんだから仕方がないですけども、全体的に非常に地味です。福山雅治の存在がありがたい。上品さとスリルをもって、考えさせられる映画です。
三隅役の役所広司が、人格が、とかじゃなくて、ルックスは完全に役所広司で、全然カスタムしてないんです。その人物が、口を開けば、白とも黒ともとれないことをふわふわと話すので、まず「三隅という男はどういう人物なのか」ということに捕らえられて考え続けてしまうのです。
この映画は、ある社会的なテーマを軸にストーリーが構成されているのですが、三隅を弁護する重盛が留萌へと唐突かつ全く自然に向かうように、あるテーマを通じて「ある人が持つ深淵と、その人を知ろうとすること」または「人が人を理解できないということ」について語っているように思います。上映時間が経過するたびに「結局こいつは何がしたかったのだ、何考えてるんだ」と考え始めて止まらなくなり、それが他人とつながろうとする全く自然な人間の姿のような気がしていました。
「実際の弁護ってそうなんだろうな」というくらい、量刑を減らすことが目的であって、成果であって、『被告の喜び』であって、裁判が始まり、終わりに向かっていきます。検察はその逆です。殺人や裁判がテーマの作品の場合、殺す側殺される側の事情にフォーカスするほうが無限のバリエーションあると思うのですが、『裁く側の都合』をこんだけ温度低くぬるりと描いてるのって、とても新鮮でした。
効率化された裁判の中で生まれるある結果について、または『裁かれない人』について、三隅が人間性をむき出しにする瞬間があります。結論からいえば、それが「本当に人間性をむき出しにしていたのか」は最後までわかりません。ただ、『お前はそれを信じたか』ということを問われている映画だと感じました。人が人を理解することはとても難しい、となったら、その人の理解を完了するかどうか、信じるかどうかは自分自身なのではないか、と。
僕は映画を見ながら、重盛がある決断をしたときに、救われたような気持ちになって泣いていました。見ているときは何で泣いているのかもよくわからなかった。こうやって感想を書いているときに、人をむやみと信じることで救われる人がいるということを、生きてきた中で少しだけ信じているからのような気がします。
この映画で登場人物が事件に関する確かな事実を述べるシーンはとても少ないです。『工場』に関するスキャンダルくらいですか。あとは、よくわからん人がふわりと口にしたことばかりです。それでも、僕たちはそのどれかを、口を開いた人を少しずつ理解する努力を続けながら、選んで信じてきたような気がします。それを教えられた映画でした。とても面白かったです。
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