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女は冷たい嘘をつくのkuuのレビュー・感想・評価

女は冷たい嘘をつく(2016年製作の映画)
3.6
『女は冷たい嘘をつく』
原題 미씽: 사라진 여자 / Missing: Sarajin Yeoja
製作年 2016年。上映時間 100分。
正体不明のベビーシッターに子どもを連れ去られたシングルマザーが繰り広げる5日間の追跡劇を描いた韓国製サスペンススリラー。
『エターナル』のコン・ヒョジンがミステリアスな中国人ベビーシッター役でこれまでのイメージを覆し、『リバイバル 妻は二度殺される』のオム・ジウォンが愛娘を探すシングルマザー役を熱演。『アメノナカノ青空』の女性監督イ・オニがメガホンをとった。

1歳の娘ダウンの親権をめぐって元夫と調停中のジソンは、住込みの中国人ベビーシッターの女性ハンメに娘の世話を任せ、自らは仕事に追われる日々を送っていた。
そんなある日、ハンメとダウンがこつ然と姿を消してしまう。警察や家族に相談しても信じてもらえず、養育権訴訟中に起こした自作自演ではないかと疑われてしまう。
ジソンはたった1人でダウンの行方を追うが、やがてハンメの名前も年齢も全てが嘘だったことが判明し。。。

信頼。
英語で、信頼は、trustと表現される。
日本語の 『信』 の字は、『本当だと思う』の意 で、『頼』 は、あてにする、期待するなんて意 味を持つとある。
その信頼における関係は、人間関係を良くも悪くもする、人生におけるとても重要な財産と云える。
それが破られたり乱用されたりすれば、壊滅的な結果を招きかねない。
イ・オニが手がけたこのドラマは、恐ろしい誘拐事件のように始まるけど、実際は、移民労働者に対する韓国の待遇の責任を問う一方で、信頼というテーマについての痛烈な批評であることがわかる。
今作品をご覧になった新生児を持たれてる親御さんの中でシッターを雇っている方は(日本ではあまりないかもしれへんが)、シッターの真偽について猜疑心を抱くやろうけど、それはイ・オニ監督の意図するところではないやろう。
先に述べたように、より深いメッセージは、韓国社会が外国人をどのように扱っているかということであり、イ・オニ監督は間違いなく、もっと直接的で、これを彼女の主要な原因とすることができただろうが、少なくとも彼女は、より多くの、虜となる観客を保証されている。
今作品はメッセージは多くの方に伝わったのだろうか?
メインの誘拐劇は、出演者にとっても観客にとっても感情的な消耗を強いるものであるため、おそらく万人受けするような的確なヒットにはならなかったのかもしれないが、少なくとも奇妙な肉傷を負わせるだけの銃弾は撃ち込んでるのは間違いない。
ほとんど会えない赤ん坊と、お手当てを払えば赤ん坊を第一に考えてくれるという理由で新しいシッターを雇うことを公然と嘆く鼻持ちならない男性上司の要求があれば、それは難しいことではない。
筋書きは犯罪スリラーの定石の範囲内で、ハンメの足取りをたどり、さまざまな身分を持つ薄気味悪い存在を明らかにし、それぞれが彼女の歴史の暗い段階へとつながっていく。 
しかし、フラッシュバックが進むにつれ、ついに移民問題が提起され、内気で言葉も不自由な中国系韓国人としてのハンメイの謙虚な始まりが断片的に放映される。
妥当性を問うための参考資料がないし、ハンメが受けた待遇の描写が現実に即したものであるとしか思えないし、もしそうだとしたら、ここで描かれているのは嘆かわしい恥ずべきこと。
この批評の冒頭で述べた信頼の濫用について言及しないのは、人種差別の域に達している。
トレーラーパークの無知にとどまらず、韓国の医療官僚の実態を反映したものでないことを願うが、実に不名誉なシーンでは、病院でペンを押しつけるお調子者の役人まで登場する。
物語の断片的なピースが最終幕でようやく収束すると、観てる側の視点と同情心は急激に変化し、2人の女性は本質的に男性支配社会の犠牲者として状況の産物であることが示される。
このシーンの演出は、サスペンスフルで涙を誘う結末をメインストリームの観客に見せるために、ドラマを搾り出すというタイプに逆戻りしている。
客観的に見れば、これはターゲットとする視聴者にとって正しい結末であり、主観的に見れば、主役の演技力の高さを考えれば、このような仰々しい演出は必要なかったんちゃうかとも思う。
イ・オニ監督はテンポの良い、緊張感のある、感情的なスリラーで、我々に2つの問題を考えさせた。
しかし、今作品がフェミニズムへの叫びなのか、それともただ単にミサンドリー(男性への嫌悪あるいは憎悪)すぎるのか、判断は難しいが、政治的なメッセージには耳を傾けるべきなんやろな。
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