朱音

ファースト・マンの朱音のネタバレレビュー・内容・結末

ファースト・マン(2018年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

これは稀有な映画体験だ。

現代の地球に生きていれば誰もが、ニール・アームストロング船長が月に最初の一歩を踏み下ろした時に言った名言「これは小さな一歩だが、人類にとって大きな一歩である」を聞いたことがあるだろう。

世界中が大いに沸いた月面着陸だが、私にとってそれは、産まれる遥か昔の出来事であり、教科書の中の1頁に過ぎなかった。
ニール・アームストロングは歴史に名を残した偉人の1人であって、現代日本に生きる私とは意識や感覚もまるで違っていただろう、シンボリックな存在でしかなかった。本作は、その遠い世界、遠い存在に血肉を与え、再び私たちにかつての熱を、生きたその感情を、届けてくれた。


歴史学者ジェイムズ・R・ハンセンの同名小説を原作とする『ファースト・マン』は、1969年にアポロ11号で世界初の月面着陸に成功した米航空宇宙局(NASA)の宇宙飛行士、ニール・アームストロングの生涯を描いた映画だ。しかし、宇宙に向けてロケットを打ち上げるという、ハラハラドキドキの極限状態だけを強調しているわけじゃない。カメラが追うのは、常に目の前の仕事に真摯に取り組むアームストロングの、ストイックな国民的英雄としての姿であり、また同時に私人としての孤独な姿だ。

彼は銀河を駆けるスペース・カウボーイのイメージとは程遠い男だった。
アームストロングは冷静沈着で優等生的な宇宙飛行士として知られてきた人物だ。本作も決してそのイメージを崩すものではないのだが、そのクールな佇まいに、どれほどの深い感情が渦巻いていたのかを伝えることで、教科書的な知識に新たな視点を与えてくれる。難病のせいで幼くしてなくなった娘、危険な任務を支えてきた妻の想い、家族と向き合えない孤独感、そしてアームストロング自身が、一体何に駆り立てられて宇宙を目指したのか、そういったドラマティックな要素の数々を、監督のデイミアン・チャゼルは説明的なセリフや描写に頼ることなく表現する術を見出している。
また映画は、紙吹雪の舞うパレードやヒューストンから声援を送る管制官たちだけではなく、宇宙飛行士に課せられた運命のぞっとするような側面を容赦なく見せつける。


静寂と轟音、そして異なるドラマのスケール感を見事に調和してみせたチャゼル監督の新境地。
思えば『セッション』で描かれた師弟同士の骨肉の争いも、『ラ・ラ・ランド』での夢を追うがゆえの切なさも、チャゼル監督は映像そのものを使って表現してきた。本作『ファースト・マン』は決して饒舌な映画ではなく、むしろ寡黙さにこそ豊潤さを見出すような作品に仕上がっている。

盛大なBGMとともに度肝を抜くようなショットを見せたすぐあとで、インディーズ映画らしい人間味のある場面を生き生きと描く、映像の有無を言わせぬリアリティ、抑制の効いた演出と、こうしたバランス感に優れた技巧は本作でも遺憾無く発揮されている。
ひとつの家庭の物語と、宇宙探索の壮大なアドヴェンチャーとが並行して描かれ、このコントラストが、ドラマに奥行を齎している。ラストの無音の中での、小さな手向けに向かってすべてが結実する。この上なく美しいシーンだった。


今日では話題になることも減っているが、NASAが米ソの「宇宙開発競争」にのめり込んでいた時代、大気圏からの脱出はもとより、月へ行くなど命知らずな危険な行為と考えられていた。チャゼルの映画はこうした不安感を鮮明に映し出し、登場人物たちに単なるヒーローではない生身の人間を演じさせている。
ジョシュ・シンガー『ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書』『スポットライト 世紀のスクープ』など、の脚本によるこの作品で、チャゼルは1960年代のNASA周辺で起きていたことも、きれい事抜きに描いている。映画の背景には、ヴェトナム戦争への幻滅のただなかで宇宙計画に懐疑的な目を向ける人々がひしめいている。作中には「俺たちが貧困に苦しんでいるのに、白人は莫大な金を使って月へ行く」とアフリカ系詩人のギル・スコット・ヘロンが語る「Whitey on the Moon(月に降りた白人)」も挿入されている。

監督の狙いは、偉大な功績を描くに留まらず、反感が渦巻く中での出来事を描くものとして、明瞭化されている。こうした試みも本作に今日的な批判性を齎している。


さいごに、
人類史に残るアポロ11号の打ち上げと月面着陸はそれこそ何度も映像化されてきたものだ。お茶の間のバラエティ番組などで、繰り返し流されてきた実際のフィルムを鮮明に思い返すことも容易い。だが、先述した通り、本作はその"決定的瞬間"に文字通り血肉を与えた作品だ。その出来事を美化して賛辞するだけではなく、極めて写実的に、批判的な視点をも盛り込み、ひとつの人間ドラマとして結実させた脚本の知性と、個性派監督としての視点を失うことなく、スペクタクル作品を世に出し続けるチャゼル監督の能力はもはや神業という他ない。
朱音

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