カエル王ちゃん

ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書のカエル王ちゃんのネタバレレビュー・内容・結末

3.0

このレビューはネタバレを含みます

#ペンタゴン・ペーパーズ は図らずも日本の公文書の管理のあり方や公益に資する所のリークに関わり、また米国においてもメディアを敵対視する大統領の登場で、国家と国民の間でその存在意義が改めて問われている報道の自由について考えるきっかけを与えてくれる作品だったと思う。
公表はニューヨークタイムズの手柄であったが脚本は株式公開を控える微妙な時期にあり、また女性読者が離れていく状況にも悩まされていたワシントンポストにスポットを当てた。当時WPのキャサリングラハムの置かれた状況の方がより困難で尚且つ魅力的だったからだろう。社主キャサリンと編集主幹ベンの会社を潰しかねないリスクとスクープを発表したいという意欲、そこに報道の自由をどう守っていくかという難しい綱渡りを経てやがて協力し合う過程には感動した。公開前夜、キャサリンの抱えるリスクについても言及されたことが効果的だった。
涙するような作品ではないかもしれないけど、対立から融和への過程や公開の是非について最高裁がエルズバーグに始まりNYT等の勇気ある行動を建国の精神合衆国修正第1条に基づいて報道の自由を擁護した瞬間には思わず襟を濡らした。特に後者は現代に顧みられるべき点。政府の国民への欺瞞が兵士たちに犬死を強いたという点ついては日本にも前例がある。最近では米国のイラク戦争も嘘に基づいた戦争であった。#ペンタゴン・ペーパーズ は時に国家が国民を欺く危険性を喚起する。ベトナム戦争への深入りする理由の70%が敗北という不名誉回避というつまらない理由で。
然るに、#ペンタゴン・ペーパーズ を公開した当時の報道機関の勇気は現代の報道機関にもあるか否か。或いは、国民は国家や報道機関のあり方に関心を持てるか否か。これらについて現代人は往時に学ぶ所が多々あるのではないかと思った。その意味では温故知新の作品であったとも言える。
主役が女社主キャサリンであったことは現代の女性のエンパワーメントにも通じる。冒頭、女性読者減少を憂えていたが、最高裁から出ていくシーンでは女性達がその姿を見つめていた。女性読者向けの記事ではなく社会派の記事が女性の支持を受けた事を示唆していたと思う。