horahuki

リングのhorahukiのレビュー・感想・評価

リング(1998年製作の映画)
4.2
物語の展開は淡々と謎を追うというもので、十分怖いが、恐怖シーンのSEやBGMが映画全体の不安感をさらに引き立たせている。ただ、貞子登場のシーンは映画のヒットを考えれば成功なんだろうけれど、映画全体の雰囲気から浮いている感じがする。でも、インパクトはすごいね。

R1.5.18
ネトフリで『貞子』に向けて再鑑賞。
3.8→4.2

改めて見て気づいたのが、明確な恐怖演出というのはプロローグとラストの有名なテレビのシーンしかないということ。考えなしに恐怖シーンをぶち込んでくる最近のJホラーとは明らかに構造が異なるわけで、Jホラーを代表するとされる本作と有象無象な作品群が同列にJホラーの中で評価されるのは間違っているのではないかと感じた。

本作での中田秀夫監督の演出力は素晴らしく、それはプロローグだけで十分に伝わってくる。親が留守という開放感。女子高生同士のふざけた明るい会話。10代特有の楽しさがスムーズに場に行き渡った中で、少しの符合から徐々に不穏な空気感を場に充満させていく。

2人の間に温度差が如実に現れていき、「今日で一週間なの」が場に与える破壊力の凄まじさ。要素1つ1つが数珠つなぎのように連鎖していく手堅さのもと、親という最大限の安堵を与えた後に、空間で区切った明→暗への移動により異界へと変貌することを強烈に印象づける。優れた恐怖演出だと思いました。

主人公浅川へと物語進行のバトンが渡った後でも、プロローグがしっかりと活きている。どんな悲惨な事件でも、記者という職業柄、自身の生活空間と起こった事実との間には明確な線引きがなされるわけであり、その境界を一気に「呪い」が飛び越え侵入してきていることを伝えるためにプロローグが役割を果たすという構成のうまさ。

『らせん』以降を含めると本シリーズは物語が入り組んでくるわけですが、あくまで本作のみで考えた場合には、根底に眠っているのは古典的な『怪談』の面影。不当に虐げられた女性の死後の世界からのカウンターが、呪いビデオとして顕在化したわけですね。

ただ怪談と異なるのは、恨みの標的が特定人ではなく不特定多数だということ。本作の中でも原作でも天然痘ウィルスへの言及がなされますが、かつて吸血鬼ノスフェラトゥがペストを象徴したように、非現実の力が現実の脅威と結びつく虚実の融合が『リング 』の持つ魅力なのだと思います。

生物としての一面も併せ持つウィルスが人間により一方的に絶滅させられた。人間に虐げられたウィルスが、同様に人間に虐げられた少女の怨念と共鳴する。それが呪いのビデオとなるわけであり、表面上は人を死に追いやる直接的な凶器として物語は進行していきますが、最終的に観客に突きつけられるのは、自分たちが過去に虐げた人の「呪い」は人の中で永遠に潜伏し続けるのだという逃れられない牢獄にも似た恐怖。

そしてそれは「死」の概念へ言及することへと繋がっていく。対象が「死 」んだと決定づけるのは我々生者なわけだけど、その決定は実は傲慢なのではないか。「死」んだと決定づけた対象は、実は姿を変え「呪い」として潜伏しているのではないか。私たちの身体の中に永遠に。宿主にも気づかれないままに、トリガーが発動するのを今か今かと待ち続けているのではないか。

原作ではほんの数人の感染を持ってビデオは新たなステージを迎えることになりますが、もしビデオが全世界へと行き渡ったら…。人類全員がキャリアとなったら…。そんな恐怖を観客に植え付けつつも、その実全ての人間が既に「呪い」のキャリアなんだ(キャリアになるべきなんだ)という現実を強く訴えかける。「死」を通して牢獄としての「生」を見つめる重要性を扱った優れたホラー映画だと思いました。

ちなみに以前の感想で「テレビからこんにちは」のところが作品全体から浮いてるって書いてますが、確かに浮いてるようには思うけど、「死」とは何かをテーマとして扱った本作においては、彼方と此方の境界なんてものは曖昧なのだということを象徴する良い演出だったと今では思ってます。現実では絶対にあり得ない「その先」を想像させつつ、ゆっくりと迫ってくる彼女の挙動は、確実に迫り来る嫌な予感に観客を長期間晒し続けるわけで、出てくる出てこないよりも、その最高に嫌な「間」を作り出したことがラストの秀逸なところなのだと思います。
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