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母という名の女のyuienのネタバレレビュー・内容・結末

母という名の女(2017年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

子供の頃、母は世界で最も綺麗な人だと本気で思っていた。滅多に会うことができなかったから、強い幻想と憧れを抱いていた。いつも遠い場所のいい香りを纏っていた彼女は、私の所属する世界と違う世界で軽やかに生きているように思えた。

母はよく私を産む前の話をしてた。そして私の為に諦めてきたことの数々も。話の中の母はいつも完璧で美しく愛され、まるでおとぎ話の中の主人公のように思えた。小さな私は、だからよく母をお姫様に仕立てた物語を書いてた。母のようになりたいと強く思ってた。同時に、自分の存在が母の可能性を狭めているんだという卑屈な思いに囚われていた。

「あなたの瞳は父譲りね」って、彼女はよく言ってた。「私に似れば良かったのにね」って。それはやがて私のコンプレックスになった。或いは、他の人から、色白な肌だったりサラサラの髪の毛を褒められると「私に似ているんですよ」と必ず自慢げに言ってた。母に似ている全ては私のアイデンティティになった。
「あなたは私の娘だから可愛くないはずはないわ」、それはまるで呪文のように付きまとい、女は美しくなければいけない、愛されなければいけない、ヒロインになれない女は哀れなんだって、いつしかそれが私の中で内面化され、この馬鹿馬鹿しい価値観には長い間振り回された。

一緒に暮らし始めた後は、母は花弁に住むお姫様なんてではなく、子供っぽいところがたくさんある、自己本位的でありふれた人だと徐々に気づいた。幻想から醒めると、父に甘える声や読んでいる本、嬌態の一つ一つがどうしようもなく嫌だった。

大人になった今、時々家に帰るとき、父とおしゃべりが盛り上がると、母はよく隣で不機嫌におし黙る。そうして、大きなため息をついて関心を引かせては自分の話を始める。或いは、7歳の小さな妹に飽きもせずに自分の昔話をしているのを見ると、時はまるであの日々に止まっているかに思えて、たまらなく居心地が悪くなる。

今だからわかる、母は親である前に生々しいまでに「女」だったんだ。そして「女」であることを常に強く主張し、誰からも愛されている完璧な自分でいたいんだ、って。小さい頃はその部分に憧れ、いつからかそれを途轍もなく嫌悪している自分がいた。だからかも知れない、私は自分自身の「女」の部分に時々怖気付いてしまう。

ぼんやりした印象の長女・クララはなんだか昔の自分を見ているようだった。従順で我関せずと言わんばかりに揉め事の匂いがするとイヤフォンを押し当てるところは特に。彼女もまた女は美しくなければいけないって叩き込まれて、抑圧されながら育てられたのではないだろうか。そうして抱え切れないコンプレックスで途方に暮れているのではないだろうか。そんなのは嘘っぱちだよ。美のステレオタイプから逸脱した者だって、皆んなそれぞれの美しさと輝きを備えている。

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アブリル。娘の赤ん坊と恋人を奪ったからといって、あなたの衰えない、女性としての魅力を立証出来るわけではない、ただ慾望に呑み込まれた醜いあなたを晒しただけなんだ。
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