母という名の女の作品情報・感想・評価

母という名の女2017年製作の映画)

Las hijas de Abril/April's Daughter

上映日:2018年06月16日

製作国:

上映時間:103分

3.6

あらすじ

海沿いの家に二人で暮らす姉妹。17歳の妹・ヴァレリアは妊娠しており、姉・クララは離れて暮らしている母親・アブリルを電話で呼び寄せる。お腹の中の子供の父親は、クララが経営する印刷所でアルバイトしていた17歳の少年・マテオ。姉妹の元に訪ねてきたアブリルは、クララやマテオと会話を重ね、ヴァレリアの不安を和らげるように接し、母親に不信感を抱いていたヴァレリアも徐々に母を信用し、そして無事に女の子が生まれ…

海沿いの家に二人で暮らす姉妹。17歳の妹・ヴァレリアは妊娠しており、姉・クララは離れて暮らしている母親・アブリルを電話で呼び寄せる。お腹の中の子供の父親は、クララが経営する印刷所でアルバイトしていた17歳の少年・マテオ。姉妹の元に訪ねてきたアブリルは、クララやマテオと会話を重ね、ヴァレリアの不安を和らげるように接し、母親に不信感を抱いていたヴァレリアも徐々に母を信用し、そして無事に女の子が生まれ、カレンと名付けられる。ヴァレリアの代わりにカレンの世話をしているうちに独占欲がアブリルの中に芽生える。カレンを自分の管理下に置こうとするアブリルに反発しはじめるヴァレリア。娘との関係が悪化していく中、ついにアブリルは深い欲望を忠実に遂行していく。

「母という名の女」に投稿された感想・評価

前作に比べるとラストのインパクトは弱めてしたけど、道中の不穏さは健在で楽しめました。ヴァレリアとカレンに幸あれ。
SAZ

SAZの感想・評価

2.0
テーマは「母の愛」と欲望をうたっている。が、私は他者という存在は、例え自らの母という血の繋がった存在であってもわかり合うことなどできない、ということを撮っていると思う。
また、メインの登場人物は母と次女だが、個人的にキーとなるのは、サブとして登場する姉の存在。姉は、太っていて、自分に自信がなく、絶えず家庭内にある不穏さや不安を体現する。正に、そこにいることに意味のある演技は注目に値する。冒頭の、本当の主人公は誰か、という点におけるミスリードの誘い方もうまい。
さらに、個人的に興味深かったのは、スパニッシュな家庭における愛情表現の仕方、服や建物の色使いの本当らしいさ。あまりスペイン系が舞台の映画を知らないため、勉強になった。
最後に、男性の監督が撮っているためか、やはり女性同士の生々しさはうまく表現できておらず、そのせいか母の突拍子もなさが非常に際立つ。そのため、テーマとしたかったであろう母の愛よりも、人間は血が繋がっててもこんなにも考え方は違うのだ、そして完全に分かり合えることなどありえない、そもそも家族とは所有の歪んだ相互行為なのだ、という読み方についなってしまう。
knee

kneeの感想・評価

3.9
異形の家族から生まれぬ完璧な家族

確かな血縁はあっても正常な家族の形の維持さえも許されなかった人間たちが露わにするコンプレックスと欲求


母 アブリル

十七で産んだ娘が十七で子を産むことを決めた。だが いざ出産後、子育てとなると泣きじゃくり母親として頼りなく、覚束ない少女のままである、そこには昔の自分が確かにいた。そんな娘を見兼ねてアブリルは孫娘の養子縁組を無断で取り決める…
この映画で家族の過去の詳しい説明はなされない。監督自身もバックグラウンドの設定は全く決めていないのだそう。役名に姓がないことも狙い通りなのかもしれない。彼女たちは家族にある各々の立場から解放され一個人の偽りのない感情の発露を描き出すためだけに存在する。
推測しかできないが母アブリルは娘を出産し、そうときを経たずして離婚している。子育て真っ最中であるはずの年齢でありながら娘たちは既に親離れをし二人だけで生活している。当然寂しさはあるだろうが、いちばん問題なのは彼女にはまだ有り余る母性が残っているということだ。人の世話をしたいという気持ちを持て余し、ほんの一瞬しか叶わなかった家庭をまた再び持ちたいという願望を抱く。それは憧れにも似たコンプレックス。そして一連の計画が長く続かないものであり、失敗するのが目に見えていたにも関わらず正常な判断を誤るほど、それは強い欲求であった。
母である女は自分の娘の赤子を取り込み次に、旦那を取り込む。娘の幸せを横領する母。そして迎えるアブリル 二度目の家庭の崩壊。それでも自分の再び作り上げた家族に執着する姿を見せず、それはハリボテであったかのように簡単に倒れていく。あのとき彼女の略奪した幸せには、最後に引き留める絶対的なもの(血と愛)が欠けていた


青年マテオ

若年夫婦の出産が母親個人だけのことになってしまう傾向がどうしてもあるはずだ。自覚の足りない若い父親の典型として描かれているマテオ。己の性欲だけに従順な十七の青年である。
アブリルが「赤ちゃんを作りたい」そう口にしたように女性のその切なる願望を全ては理解できない男性は確かにいる。子を身籠もることへの願望には産む側と男性でどうしても埋めることのできない差が生じる。マテオの「もちろん赤ちゃんは嬉しいよ」には本心も込められいてるが100ではない分、隙間をポーズで埋めている。なんていったって彼は十七歳、人生でいちばん自由が利く年代でそれを棒にふるような生活に自ら進んで入っていくはずがない。求めていなかったができたから産んで育てる、その意思はあまりに脆い


姉クララ

母と妹の諍いのなか第三者として立場を示すことができた唯一の家族でありながら最後まで立場を明示しなかった人物。彼女は自分より先に年下の妹が幸せの象徴ともいえる子宝に恵またことをよく思ってはいない。おまけにこのような現状の自分に妹は御構い無しに振る舞う。無自覚の侮辱、妹は姉の幸せをも語り出す。
そんな妹に嫌悪を抱くのも当然だが、一見仲睦まじくみえる母親にも同様の感情を抱いていた。ここで監督のインタビューから抜粋させてもらう
「母親と過ごした時間がアブリルより長いからこそ、クララはちょっとぽっちゃりとしていて、自尊心も低く、妹があんなことをしていても自分はやりたいことをできず、生きたいように人生を過ごせていない。逆に母親と過ごした時間の短い妹のバレリアのほうが自由に振る舞っている。それはきっと、姉のクララほど母に苦しめられていないからだと思う。」
母親も結局は妹と同じであって自分を顧みようとはせず、あくまでヨガ教室運営の人員などとしか自分を見ていない。板挟みとなった彼女は思わぬ方向へ舵をきることに加担してしまった。クララにはいい姉になる未来が用意されていただろうか


少女バレリア

母親にとって自分の身体から発生し、出てきた我が子とは、所有 である。そこでの赤子の主体は無視され、大人の勝手で様々な人間の手元を行き来する。だが事態が進むなか、若くして子を産んだバレリアの母という自覚は日増しに強くなり、カメラの前で産後の逞しい母親へと変貌していく。
そして迎える鮮やかな最後。繰り返す家族。『サウルの息子』にも似た眼が覚める大きな笑み
所有。奪い返してみせた、だがそこに愛情があるのかわからない。片親となりさらに増す、育てる上での苦悩。バレリアはそこには無関心で、なにもできない
「可愛い私の赤ちゃん」
それは都合のいい愛かもしれない
序盤意味有り気に映るカーテンは機能せず、扉や柵も効果的に感じられない。中盤以降脚本に引っ張られ演出の余裕がない印象。『父の秘密』を彷彿とさせる「間違ってるけど妙にスカッとするオチ」は良く、頭オカシイ&エロ過ぎるババアに勃つ。この監督、車内からのフィックス好きね。
すー

すーの感想・評価

4.0
お初ミシェルフランコ。じわじわとうわあーってなる映画。そしてラストはすっきりするわけじゃないけどうん。って思えるようなラストだと感じた。

男に執着した母とは対照的に大人になって母として前を向いた娘というかね。母という一人の女だけの映画じゃない気がする。でもあそこまで行くと母親がまあ化け物みたいに思えるのも仕方ないか。

単純に女としての欲望っていっても色々あるからなあ…女としての醜さが全面に出ていて割と私は好きだった。
猫

猫の感想・評価

3.7
邦題から想像した通りの母だけど
原題はこの母の娘。
観ていて『ラブレス』を思い出した。

のっけから凄い!
というか
人種の違い?それとも
この娘に恥じらいがない?

メキシコでも 親、子ども、家庭が崩壊しつつあるのか?自分だけが全てなのか?
子も子なら親も親。
女を中心に描かれているけど
どちらの男親も
相当な(呆れると言う意味)親だ。
母だけが責められる話でもない。
欲望の果ての先を考えない人達の話…
赤子には罪はないのに。

 2018.7.6 名演小劇場にて鑑賞
来夢

来夢の感想・評価

4.0
『母という名の女』
邦題の通りの内容の映画。もっと人にはお薦め出来ない胸糞系かなと思ってたけれど、面白いですこれ。現実にありそうなサスペンス(サスペンスって表現が適切かは微妙だけれど)として。いや、現実にはないか。でも親子だから異性の趣味が似ているのはおかしくないし、普通にそういうこと(親子で男を取り合うみたいなこと)はそれなりにあるんだろうな。ただ奪いかたが尋常じゃないというか常軌を逸しているので、サスペンス界にあらたなモンスター登場って感じ。もするけれど、女性の怖い部分を誇張して描いているだけかもしれないね。男性が観るのと女性が観るのでも感想はかわるかも。
ラストシーンでちょっとウルっときた人はたぶん俺だけ。
のりこ

のりこの感想・評価

3.5
やり方が強引なせいか、誰にも共感しないし、ハラハラもしない。自分の母親じゃないなら別に嫌じゃない。見るからにおばさんやのに17歳のイケメンに子どもが欲しいと迫ってドン引きされても、その時がくれば惜しみなく放り出す姿がかっこよかった。ただ、赤ちゃん置き去りはあかん。サイコや。
ヴァレリアが賢くて良かった。
小一郎

小一郎の感想・評価

4.1
とんでもない母親の物語というインプットだけで観たのだけれど、不思議なことにとある映画に雰囲気が似ていると思った。だとするときっとこうなるよね、と予想していたら本当にそうなった。無音のエンドロールに、ちょっと呆然としてしまう余韻も同じ。鑑賞後ググったら、本作と思い浮かべた映画の監督は同じ人だった。

チラシには「隣にいるのは母ではなく、女という怪物だった…。」とあって怪物ぶりを観る映画かなと思ったものの、それ程でもないじゃん、というよりも化け物みたいな意味での怪物ではなかった。

女としての欲望を真っすぐ解放すると、社会的に母とされている人格が破綻し「母親としてあり得ないでしょ」みたいなことになってしまった人を、ここでは怪物としているらしい。逆にいえば、母は女としての欲望を抑圧することで母となっていると言いたいのではないかと。

シングルマザーっぽい母アブリルには、姉クララと17歳の妹バレリアの2人の娘がいて、親子は離れて暮らしいている。我慢のクララに対し、人生エンジョイ派のバレリアには同級生の彼氏がいて、すでにお腹の中には子どもがいるにもかかわらず、イチャイチャが止まらない、みたいな。

彼氏が実家から援助を断られたこともあって、バレリアはどう転んでも子どもを産んで育てるなんてできそうもない。そこでクララは毒をもって毒を制するというつもりなのか、妹が蛇蝎のごとく嫌う母アブリルを呼び寄せる。

はじめの方こそ母らしく献身的にバレリアの世話していたアブリルだったけど、孫娘のカレンが生まれると、次第に欲望を解放していく。

バレリアもまた、子どもができてもなお欲望を抑え込むことが良くできず、社会の規範でみたら、母?という感じだから、どっちもどっちかも。

でもさー、父は何やってんだよ、と。男は不自由を受け入れて父にならなくてもいいのか? 彼氏の父親も無責任だよねー。こういうとき女だけが我慢して母やらなければならないなんて、おかしくね?

ということで、自分的には母による男への復讐の物語でもあるように思ったのだけれど、どうだろう。エンドロールの余韻はバカすぎる男の気持ちの表現でしょ、ありゃ。しかし、本当の怪物はクララだったのかも…。

●物語(50%×4.0):2.00
・監督得意のオチ、みたいな。ところで、チラシに微妙に映っているクララが気になってきた。ビデオが出たらもう1回観ようかしら。

●演技、演出(30%×4.5):1.35
・やっぱりアブリルがイイ。

●画、音、音楽(20%×3.5):0.70
・不穏な感じが良いかも。
Zhenji

Zhenjiの感想・評価

3.6
ザ・くそババア。
最後のレストランのシーン。赤ちゃんの演技、神すぎ。どーやって演出したんだろ。

鑑賞直後、邦題サイアクと思ったが、よく考えると邦題はダブルミーニングとなってて、考えれば考えるほど、原題より練られたいいタイトルに思えてきた。
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