ラウぺ

テリー・ギリアムのドン・キホーテのラウぺのレビュー・感想・評価

3.8
映画の冒頭に“25年の映画人生の末についに完成した”というキャプションが入ります。
「映画史上最も呪われた企画」として9回の挫折の末にようやく日の目を見た作品ですが、万人にお勧め、というわけにはいきません。

物語の下敷きはもちろんセルバンテスの「ドン・キホーテ」なのですが、この映画の原題は“The Man Who Killed Don Quixote”で、単なる「ドン・キホーテ」ではありません。
CM監督のトビー(アダム・ドライバー)はスペインでドン・キホーテを題材としたCMを撮っていたが、進行はトラブル続きで上手くいかない。上司の主催の夕食会で謎の男から昔自分が撮影した『ドン・キホーテを殺した男』のDVDを売りつけられる。翌朝撮影した村が近くにあることを知り、現地に行ってみると、撮影に起用した人々はその後の人生が大きく狂っていたことを知るのだった・・・

昔ドン・キホーテを演じた靴職人のハビエル(ジョナサン・プライス)は自身が本物のドン・キホーテだと思い込み、トビーを見てサンチョ・パンサだと言い張る。追われる身となった二人はそのまま流浪を続けるのですが、現実と妄想、過去と現在が入り乱れ、ストーリーはあって無きが如き状態で、ナンセンスな物語が延々と続きます。
物語の展開はドン・キホーテを下敷きにハビエルとトビーの珍道中を描くことで入れ子構造となっているのですが、現実と妄想の境のなくなった男の物語はそのままトビーとテリー・ギリアムの写し鏡の状態を表し、現実と映画の物語そのものが入れ子構造となっているわけです。
ダサくて泥臭い、昔のナンセンス・ドタバタ喜劇の再来を思わせる展開はそういう理屈を承知している前提があるにしても、楽しむことができるかどうかは人による、としか言いようがありません。
途中で「なんだこれ?」と思うところも多く、完全にその中身を咀嚼できているといえるのか怪しいのですが、少し斜に構えながら観ることで、なんとなく全体像を掴むことはできたのかな、と思います。
それとは別に、大真面目に演技をしているジョナサン・プライスとアダム・ドライバーは役者としてのプロ根性を体当たりで見せつけ、圧倒的なインパクトを残しました。

『ゼロの未来』で物語的分かりやすさを放棄して、観念的世界を映像化して煙に巻いたテリー・ギリアムですが、本作は自身の災厄=狂気?と向き合うことで、ナンセンスで混沌とした世界のど真ん中を突き進むのです。
ある意味ではそれはそれとしてスジが通っているとも言え、終盤にきてトビーの心の内に一つの平穏が訪れる(それはテリー・ギリアム自身にとっても、ということでしょう)ところを見届けると、狂気の世界の果てに見える地平が意外と1本の道を通ってきたのだな、と納得できるようになっています。
その点では私的に結構なガッカリ映画だった『ゼロの未来』よりも、本作は遥かに完成度の高い、腑に落ちる作品であったと思うのです。

長年にわたる禍から脱却し(憑き物が落ちて)、いわば禊が済んだテリー・ギリアムがこの次にどういう方向に向かうのか、むしろそれが楽しみになってくるのでした。
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