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ザ・スーサイド・スクワッド "極"悪党、集結のbackpackerのレビュー・感想・評価

3.0
DCエクステンデッド・ユニバース(DCEU)第10作
ジェームズ・ガン監督(以下、JG)が送る、新生スーサイド・スクワッドの物語。

2016年にDCEU第3作として製作された『スーサイド・スクワッド』(以下、前作)は、ビジュアルに全力投球した結果、演出・展開において、正直かなりイマイチな出来栄えとなってしまった感が強い作品です。
ただ、等身大の人間達の苦悩や生育環境のもたらす格差等、社会への問題提起という点はとても良く現れており、私は最低年1回の頻度で鑑賞する程度には、DCEU作品の中でも好みの一作でもあります。

そんな前作から心機一転、登場人物は数名引き継がれながらも、作品同士の連続性という点には目をつぶり、JGに「やりたいようにやってもらった」リブート作品として、新生スースクが公開されました。
前作を見ていなくてもたいした問題はありませんので、一見さんお断りではありません。

JGといえば、MCUの『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』及び『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー リミックス』で一躍ヒットメーカーとして名を売った人物です。
この人は、もともとロイド・カウフマン率いるB級インディペンデント映画製作会社のトロマ・エンターテイメント出身という経歴の持ち主。
ハリウッド映画界の立身出世・成り上がり・サクセスストーリーで考えれば、ぶっ飛んだ成功例といって過言ではありません。

そんなJG、トロマ出身ということと、『スリザー』や『スーパー!』の作風を考えれば、クレイジーで過激で"クソやばい"作品がお得意とわかるのですが、比較的お行儀の良かったMCU作品しか触れてこなかった方は、本作の凄惨で血生臭いゴアゴアなビジュアルには、度肝を抜かれたのではないでしょうか?
この感じ、まさしくトロマ節という印象です。
(ちなみにJGは、MCUで『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』を作った後、超過激な『サラリーマン・バトルロワイヤル』という血塗れスプラッタ映画の脚本を書いています。反動ですかね。)
そんなゴア表現盛々の本作は、当初はワーナー及びDCコミックスから〈PG-13指定〉を希望されていたとのこと。R指定で製作することに拘ったJG、GJです。


好評な雰囲気で書いておりますが、個人的には本作は「普通」な作品でした。
前作見てなくても入れるような作りのため、アバンタイトルが既視感強めだったり、イドリス・エルバ演じるブラッドスポート(スーパーマンをクリプトナイトの弾丸で狙撃し病院送りにしたって、槍作って殺そうとしてたバッツより優秀なんじゃ……)は好きですが、デッドショットのポジションを踏襲しているためやはり終始見覚えが……。
また、盛り上がりのシークエンスと凪のシークエンス(動のシーンと静のシーン)の落差が激しく、盛り上がる展開を繋げるシーンで凄く冷めてしまいました。
明確なチャプター分けも物語全体の断絶感を強め、初動シーンでその都度リセットされる感覚がつきまといます。コミック的演出として面白いのですがは、ちょっとブレーキがキツイ。
それと、一番言いたいのは、結局主人公達の存在が示す社会課題等への問題提起は、前作と全然変わりばえしないなと思います。よりスポットを当てていることで、「社会の仕組みは改善されることはない」というメッセージは強く響き、絶望感は強まりましたが……。

・キング・シャークかわいい
・ラットキャッチャー2の父親役、タイカ・ワイティティはまり役
・ハーレイ・クインの内面世界の顕現やガチの狂人として描く→かわいいポップアイコンが彼女の全てではない
・小鳥(Twitterアイコン?)に悪いことするとしっぺ返しをくらうヨ(監督の自嘲的メッセージでしょうか?w)
等々、文句なく面白かったなぁと思うところも多々ありました。
単純な視点での見方としては、手放しで大絶賛するほどではないけど、面白い良作だったなぁという感想です。


結局の所本作は、生々しい政治劇、ポリティカル・サスペンスの側面が強い映画だったことを踏まえて、感想を考えなければならないのだと思います。

真の極悪として本作で明示されるのは、アメリカ政府、ひいてはアメリカという国家そのものです。
宇宙から取り扱い注意なヤツを連れて帰ってくる。
自国内では処理できない激ヤバ案件になったので、傀儡国家で実験継続。
傀儡国家が軍事クーデターというイレギュラーで崩壊したため、アンタッチャブルな案件がバレそうになったら即座に隠蔽工作。
隠蔽工作のための実働部隊は、上役に自身や家族の命を握られた犯罪者にアメとムチをちらつかせて強制労働。
横暴・傲慢・非情という最低最悪の三重苦国家、それがアメリカってな風に描かれていますからね。

そんな邪悪な帝国主義国家・アメリカの象徴として、前作から続投した、国に仕える巨悪官僚・アマンダ・ウォラーがいます。
このアマンダ・ウォラーと、彼女の率いる政府スタッフ=体制側は、タスクフォースXのメンバー(以下、スースクチーム)より遥かに醜悪です。
隷属させるためなら犯罪者の親族の人生をぶち壊しても構わないという非道さや、スースクチームの誰が先に死ぬかで賭けをする(しかも日常的に)様子には、反吐が出ます。

少し横道に逸れますが、この政府スタッフについても、ちょっと思うところがありますので、記載させてください。
体制側の歯車に過ぎなかったスタッフ達は、最終的に巨悪ババアに反抗して、ババアの煮えた腐れオツムにゴルフクラブを一閃!して打ち倒します。この痛快な様は、とてもグッジョブ風な美談に描かれていますよね。

でもこいつら、クソッタレのゲス共だったということを忘れちゃいけませんよ……。
こち亀の両さんが熱弁し、ネットミームとしても有名な「不良が厚生しただけで偉いと褒めそやされるのは、別に偉くもなんともない」の理論ですよ。
ほんの一瞬体制側に反抗したけど、スタッフ共はその後も職を失うでもない(スースクチームが上手いことやったおかげですが)ですし、その後も犯罪者の命でギャンブルに興じ続けるかもしれません。

この話は、スースクチーム側にも当てはまるので、語られている諸事情も加味して見ておきましょう。
彼らは、大まかには3つのタイプに分類できます。
1.苦しい境遇に置かれており、悪人とは言い難い者(ラットキャッチャー2はホームレス、ポルカドットマンは児童虐待の被害者)。
2.善悪とか関係なく、確たる自分を持ち、信念や考えを曲げない者(ピースメイカー)。
3.世界の"普通"の枠組みからは外れていて、完全に自分の世界を生きている者(ハーレイ・クイン、キング・シャーク"ナナウエ")。
以上の3つです。
看板主人公のブラッドスポートは、クライマックスでは厚生したっぽく動きますので、ちょっとブレますが……本質的には2.に近く、それでいて"普通の常識人"という考えも有する人物とすることで、スースクチームと社会との接点的存在として描き、ヒーロー映画の形式を保つために必要だと思いますので、まぁ仕方ないのかなと思います。
チーム唯一のまともな存在リック・フラッグとの関係性を考えても、橋渡し的存在であることは間違いないですし、フラッグの"最後"を考えると、ブラッドスポートの立ち位置はフラッグに近づいて然るべきでしょう。

上記の政府スタッフ及びスースクチームに話を要すれば、「あいつらいいやつになった風に終わるけど、それまでの行動を省みるとね……」ということです。
政府スタッフ側から受ける印象は、"一見まともそうな普通の大衆にこそ、悪がある”。
スースクチーム側から受ける印象は、"爪弾きにされる悪人にこそ、本当の悪はあるのか?"。
この2つから受ける印象の違いは、スースクチームが悪人っぽくない(反政府ゲリラを楽しく惨殺するのは、仕事の一貫として割り切れてしまいますし、悪逆非道な人非人の集いとはとても見えません)ことや、ある種の半官贔屓かもしれませんが、やはり意図的に真の極悪=アメリカと印象付けるための演出だったのではないでしょうか。


スターロの研究施設ヨトゥンヘイムは、かつてナチスの施設だったとして登場することから、"ナチス"という視点(日本人的には大日本帝国という視点)も忘れてはいけません。
巨悪ババアのアマンダ・ウォラーは、国のためなら個人の権利は踏みにじって当然と考える、職務に忠実な官僚です。
それに仕えるスタッフも、職場環境の異常性に順応して、犯罪者が死んでいくことを娯楽のように捉えています。

これは、ナチスにて絶滅政策を担当していたハインリヒ・ヒムラーと、ナチスの指示に唯々諾々と従う部下及び大衆の姿とも重なります。
即ち、国家の指導者が主導する政策に盲目的に恭順し、狂っていく国民の姿そのもの。
日本も同様な考えで一億玉砕に突き進んでいったわけですから、他人事ではありません。

「大衆は無知でいてほしい」という政治家・権力者の考え方。
権力者に迎合し熱狂と陶酔に浸る無知蒙昧な大衆の哀れな姿。
まさに現在の実社会ともリンクしている問題であり、悪のナチス第三帝国→悪のアメリカ帝国主義という構図を彷彿とさせる、巧みな演出でした。


最後に、本作を特撮怪獣映画の系譜に連なる存在たらしめた偉大なる巨大ヒトデ"スターロ"等についても、触れておきます。
私は、アメコミは多少嗜んでいますが、マニアほど熟知しているわけではありません。そのため、マイナーキャラ集合映画の敵キャラとあっては、まるでわかりません(ましてや、スースクチームのメンバーですら超低知名度とあっては、わかるはずもなし)。
軽く調べるところでは、1960年発行のジャスティス・リーグ・オブ・アメリカで初登場、近年もDCTVドラマシリーズで映像化されているとか。
このキャラクターをトレーラーで見たときに真っ先に思ったのは、「『宇宙人東京に現る』のパイラ星人そっくりだ!」でした。
JGは怪獣映画オタクですし、特撮監督の樋口真嗣との対談で樋口真嗣がパイラ星人の人形を見せると「勿論知ってるよ!大好きだ!」と大喜びしておりましたから、当然影響はあるのでしょうが、『エイリアン』のフェイスハガーばりに人間の顔面に寄生したり、巨大スターロが回転しながら移動したりと、そのビジュアルのキャッチーさはグレイト!
スターロのみならず、『ウィラード』や『ベン』、幻の映画『ネズラ』を彷彿とさせるネズミスペクタクルがもたらす究極のクライマックスも、怪獣特撮っぽくて最高でした!


不謹慎で悪趣味で過剰に残酷なギャグの満漢全席。
MCUでは(おそらく)絶対にできない演出の数々、JGの経験や作家性が大爆発したビックバジェット悪趣味映画。
DCEUとしても異色極まる作品となりましたが、記憶に残る作品となったことは間違いありません。
まだ見ていない方は、ぜひ鑑賞のうえ、JGのゴア描写をたっぷりご堪能ください。
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