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チェルノブイリハートのRのレビュー・感想・評価

チェルノブイリハート(2003年製作の映画)
4.0
エグすぎる😰 タイトルからも明白なように、1986年4月にウクライナ・ソビエト社会主義共和国のチェルノブイリで起こった原発事故に関する45分くらいのドキュメンタリー。チェルノブイリハートとは、放射能の影響で、生まれたときから穴があいている心臓のことを指すらしい。事故から16年経過した2002年、放射能の影響下で生まれてきた子どもたちを収容する、ウクライナ北部・ベラルーシ南部の医療施設などを「チェルノブイリ子どものプロジェクト」の代表エイディ ロッシュ氏が訪問し、被害者の様子を視察する模様が記録されている。まず冒頭で、ガチガチの放射線防護服を着て、チェルノブイリ原発がすぐ向こうに見えるくらいのところに行くんやけど、風景の雰囲気がロシア映画のストーカーの感じに似てるのが印象的だった。こっちの方がストーカーより後の映画ってことは、旧ソ連一帯はこんな雰囲気の場所が多いのかもしれない。そこでの放射線計測器の値がどれほど異常であるか、そして国がその値を認めていない事実を語ったあと、実際の医療施設に行くんやけど、これが衝撃的。あまりにも残酷な現実なので、戦争被害者の映像とか病気の症状の写真とか、そういうのが見れない人には、オススメできません。コレは刺激が強すぎる。みんな生きて動いてる子どもたちやから。甲状腺がんを患う若者、ぐにゃぐにゃの奇形で動くことすらできない幼児、絶望するのを避けるため真の病名を明かされることのない娘さん、などなど、あまりの悲惨さに胸がエグられる。多くの子どもたちは、身体のみならず精神にも障害を負ってるが、なかには精神がハッキリしてる子もいて、将来は子どもたちのために先生になりたい、と語る瞳に輝く光に胸を打たれる。多くの子どもたちは、親に棄てられ、届けられた先の施設で育てられる。そこで働く看護師などのスタッフたちは、一生懸命に彼らのお世話をしている。ロッシュ氏は、何とかして、少しでも、子どもたちを助けてあげたい、幸福を感じさせてあげたい、と子どもたちを抱きかかえる。医師たちは真摯にチェルノブイリハートの治療に尽力している。子どもたちを心からかわいそうに思い、自分の仕事にとても謙虚な彼らの姿はとても印象的だ。2022年の現在でもチェルノブイリの後遺症で苦しみながら生きている人はたくさんいるはずだ。被害者の人たちはいま、何を感じながら暮らしているのだろうか、思いを馳せずにはいられない。もちろん原発事故はあくまで事故なのであるが、人間の所業によって引き起こされた悲劇であることにかわりはない。世界が便利で楽になればなるほど、新しく生まれてくる命がその代償を払わされる。何たる不条理。この宇宙に存在するあらゆる命は、自らの命を犠牲にしながら、ほかの何モノかのためになっている。「全宇宙が生命を育む慈悲として働いている」とは、以前とある哲学書で読んだ内容だが、人間における最大の不幸は、宇宙の慈悲の流れに逆らえない動植物とは違って、それに完全に逆らうことができることだ。しかも、意図せず無意識に逆らっている場合も数多あるだろう。人間は生まれたとき既に罪を負っている、という考え方があるのも、人間が利己的になるのがあまりに容易く、利他的になることがあまりに難しいからだろう。人間が、自らの命をかけてでも、利他のために行動するとき、もっとも深い幸福を感じるのも、それだと納得がいく。宇宙の法則に一致しているからだ。他を利することは、生命のもっとも基本的な法則なのだ。この映画を見て、僕はそのことをとても強く感じた。この世界にはあまりにも悲惨が多く、だれもかれも無関心で、悲嘆に沈む人を助けようとする人は少ない。でも、だからといって、その状況を悲観したり、感傷にひたっている時間はない。自分に可能で、自分にしかできない利他の行動に打って出ること、それが大事だな、としみじみ感じた。
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