140字プロレス鶴見辰吾ジラ

クワイエット・プレイスの140字プロレス鶴見辰吾ジラのレビュー・感想・評価

クワイエット・プレイス(2018年製作の映画)
4.0
”俺たちはブラック企業には負けない”

「音を出したら即死!」

宇宙から飛来したエイリアンに破滅させられた沈黙の世界で、ある家族の愛が試される。音を出したら奴らが来る!一時の油断も許さない、世界崩壊後のモンスターパニック作品。

秩序を乱す者は死ね。
自己犠牲は美しいものである。
愛の結晶が沈黙の世界に希望を与える。

どうにも宗教に疎い我々日本人には仕込まれたメッセージを違う方向でとらえてしまうかもしれないが、家族4人揃ってでの食事前の祈りや、アメリカの田舎の農家で異星人に襲われる孤立の箱庭感は、M・ナイト・シャラマンの「サイン」、そして家の孤立性はダーレン・アルノフスキーの「マザー!」をシチュエーション的に想起する。ただ単に彼の国の宗教観と農業民族としての秩序を、エイリアン来襲という世界の破滅に置き換えて、ホラー映画のサプライズ効果やこの世界のルール設定や支配権の移り変わりを既存のホラー映画・パニック映画の手法をスタイリッシュかつ、沈黙を維持しなければならない映画的重力によって効能を増している。特にクライマックスからラストカットへの支配権の交代と湧き上がる熱の最高到達点で幕引きするセンスは文句なしである。

斬新な設定なモンスターパニックとしては、まだまだ設定の奥行が足りないわけなので、そして音を立ててはいけない世界と、冒頭で描かれる秩序を乱した者の死を目撃しながら夫婦が赤ん坊を授かるというのはいささか家族計画が破たんしているように見える。いや、そうではないだろう。本作のシチュエーションホラーでありながらも、主人公家族の家の周りを世界崩壊後から切り取って作った箱庭方式をとっているわけだから、ワールドエンド型のスペクタクルは捨てて、観念的に映画の舞台を描いていると思う。何より、秩序の徹底された音の出せない世界で、信仰心をもって新たな命の誕生を迎え入れ、この世界にて生きるという反抗を決意を家族は持っていることで、絶望に対するものとしての愛をメインに据えた映画として見える。宗教モチーフがゆえの頭でっかちないし、信仰心やエリート至上主義な生き残り描写は最後まで上から目線を感じ、農耕民族において秩序を重んじる我々も理解できる世界観でありながらも微妙に知識的な敗戦をしているようで気に食わない部分はある。

それでは、日本人好みの視点で見てみよう。

vsブラック企業である。

・秩序を乱す者は消える運命。
・声を上げることは命にかかわる。
・自己犠牲を強いられる。

その中で、家族を持ち、守り、そして新たなる命を迎えるという構図は欧米の農耕民族の歴史を辿った日本人と共通ベクトルであり、そして無宗教と言われながら村文化や社会的な勢力に宗教的価値観でしがみつく日本人vsブラック企業のアフターワールドエンド闘争と見ても都合は悪くない。家族を守るため不条理な力に沈黙の美を強いられる父親が、あらゆる方法論で家族への愛を生み出そうするひたむきさを美としてとらえながら、最後に待ち受けるこの世界の奪還方法を見出し、女性が子供へつなぐ未来のために立ち上がるという構図も実に格好良い。沈黙という言論統制に縛り付けられた男は自己犠牲の美の中に落ち、世界への反抗心の礎を作り、その子世代が反逆者となるカタルシスは何かこみ上げるモノを感じた。

90分ほどのシチュエーションホラーというジャンルとして飽和していながらも、「マザー!」のようなメタ要素も含め、オープンワールドゲーム世界のような新聞記事のスクリプトから類推する世界という楽しみ方も備えた、ブラック企業撲滅プロパガンダ映画と勝手に思い込んで盛り上がれる良作。


何だかんだ日本人は無宗教決めるわりには、夢の国やアイドル文化のように、自らを縛り上げて秩序を上書きした社会契約を行っているのだと何か反省させられてしまった。秩序を乱す者は排斥し、エリート至上主義として勉学の立たぬ者の生き残りを序盤から否定した本作の手際と堂々たる愛の賛歌に気の置けぬ映画なのは間違いないと思う。