いの

ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリスのいののレビュー・感想・評価

4.2
お仕事拝見ドキュメンタリーが好きだ。それが図書館とか美術館とかとか、裏方仕事なら尚のこと。上映時間は205分!ウトウトすることは承知のうえで観たのでやんす。ジェファーソンの独立宣言の草稿も保管しているというNY公共図書館。


とにかく皆さんよく喋る喋る。インタビュー(講演会?)でも、図書館スタッフの会議でも。対話の重要性。そうか、これは言葉を信頼している人たちのドキュメンタリーなんだ。映画のわりとはじまりの部分で、どなたかが、「言葉とは○○○○(なんちゃら)なのだ」と、すごく良いことを仰っていて、ちゃんと覚えて帰ろうと思ったのに、ダメだあ、思い出せない。


「面倒な事に向き合う」
そのような発言もあった。民主主義は面倒くさい。でも、それを手放さないという意志。


この映画は、民主主義とはなんぞやを問い掛けながら、実は民主主義のその先を、提示している、と思う。この図書館の取り組みを観ていると、民主主義のその先は、社会民主主義なのかもしれないと思ったりもする。(注:社会民主主義がなんなのかもわかってないので、なんとなくそんなイメージ、ということでお願いしたいです)(民主主義のゆく先は、社会民主主義だろうという話は、どこかで最近、目にした気がする。どなたかの、他の映画のレビューで読んだのかもしれないし、何かの記事か 何かの文章かで目にしたのかもしれない。出所を思い出せず申し訳ない。が、この映画、しかもアメリカのNYで、社会民主主義らしきものに、たどりつくことになるとは思わなんだ。でも、そのことが、妙に感慨深かった。)


そこで催されるたくさんの催し物。あるひとつのインタビュー(講演会?)から、次のシーンにいく場面転換に於いて、観客の拍手が全く映されない。それがとても印象的だった。観客の拍手で 次の場面に転換する方が気持ち良いかもしれないのに。観客の拍手はあえてはずしたのだろう。そこには、拍手をもってしゃんしゃんとは終わらせない、つまりは、問題や課題はこのあとも続いていくのだということを暗に示しているのだろうと解釈した。また、この講演内容の知のレベルの高さは当然のことであり、なにも有難く拍手を入れるまでもない、といったスマートさも、あわせて感じ入った。おそるべし。







〈追記〉2021.12.12

(*1)良い機会だと思って、確認しました。
確認できて良かった!

①冒頭にあったのは、生物学の先生の言葉で「科学とは現実の詩だ」


②「言葉はなんちゃらなのだ」は、冒頭ではなく中盤でした(1h12min18sec)。これを映画のはじまりの部分だと自分が錯覚してたのはきっと相当集中して観ていたからだろうと、これまた自画自賛で自分に都合良く解釈することにします。詩人のヨセフ・コマンヤーカ氏の話のなかで、その発言はありました。


「詩という領域において政治を意識していますか?」というインタビュアーからの問いに対して、彼はこう答えています。

「言葉とは政治的だ/そして僕は言葉をルーツにしている」





自分用の記録として、メモを残します。


-言葉とは政治的だ。そして僕は言葉をルーツにしている。リチャード・ライトだったと思うが、彼は自分の文章に「こん棒と同じ役目を担わせたい」と言った。僕はそう考えない。詩の表面には 政治は現れない。しかし言葉を使っている以上 政治は表面下に織り込まれる。詩が持つ感情的な構造の中にね-


Q「あなたも常に織り込んできたのですか?言葉を使う詩人として?」


-ジェームズ・ボールドウィンはこう言った。“我々は 何が起きているか 知るしかない。今の全てにウンザリしているのだから”とね。思うに詩人は観察者であることから逃れられない。暗示的な表現をする。だから大きな可能性も生まれる。詩の韻律のなかにいると 詩が持つ感情的な構造に包まれる。言葉は 直接的だが暗示にもなる。ブルース歌手のようにね。まさに僕はブルースの本質に戻ろうとしている。暗示と大胆さだ。 シンプルな言葉がいざなっていく より複雑な感情の場所へ-
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