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スリー・ビルボードのkomoのレビュー・感想・評価

スリー・ビルボード(2017年製作の映画)
4.5
ミズーリ州の町外れの道路沿いに、3枚の不穏な看板がそびえ立つ。
「娘はレイプされて焼き殺された」「未だ犯人は捕まらない」「どうして、ウィルビー署長?」
7か月前に殺害された少女の母・ミルドレッド(フランシス・マクドーマンド)が、一向に進展しない捜査に怒りを覚えて設置した看板だった。
しかし名指しされたウィルビー(ウディ・ハレルソン)は人徳のある人物であり、ミルドレッドの行動は警察や町民たちの反感を買ってしまう。
そしてミルドレッドは、凶暴な性格を持つディクソン巡査(サム・ロックウェル)からも目をつけられることとなり…。


失意や悪意が充満しているものの、絶望だけで終わらない物語でした。
凄惨な殺人事件が主軸ですが、事件そのものより現在生きている者たちの攻防を描いた社会派ドラマです。
身内が残酷に殺されても、身近な人物が自ら散ってゆくのを見ても、生きられる者はその後も生きてゆかなければなりません。

人間を憎み、糾弾し、陥れようとする心。
それらは当然、良いものではありませんが、『善悪』以上に熾烈に表現された『命あるものの悔恨』。
悲しいことさえ起こらなければ、この人たちはこれほどまでの復讐心に駆られずとも済んだのに。

しかし憎しみに対応する『赦し』も作中に存在しています。
娘を殺した犯人に関しては、ミルドレッドは永遠に赦しはしないでしょうし、赦すべきだとも思いません。
しかし世のありとあらゆる人間を連鎖的に憎んでいたミルドレッドは終盤、犯人以外の人間に対しては情けを掛けられるようになるのです。
元夫に送ったワインがその象徴であり、その他にも署長の5000ドルや、レッドが差し出したオレンジジュースも『赦し』を具現化していました。
憎しみも慈悲も、人々の中で輪廻しています。自分が誰かに与えた慈悲が、自身の足下を照らすことは確実にあるはず。

結末も断じて道徳的ではありませんし、ミルドレッドたちがどうなったのかも明確に描かれてはいません。
しかし決して折り合わないはずの二人が最後に意気投合したということこそが、この映画の紛れもない終着点であり、『赦し』の確固たる例であると思いました。
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