140字プロレス鶴見辰吾ジラ

犬猿の140字プロレス鶴見辰吾ジラのレビュー・感想・評価

犬猿(2017年製作の映画)
4.4
”共感”

吉田恵輔。
邦画で面白い作品が撮れる男であり
人の嫌な部分に的確なボディブローを放つ男。
本当に勘弁してほしい
もう辞めてほしい
と何度願ったか…
とにかく死にたくなった(良い意味で)
本当に嫌な監督だ(良い意味で)

冒頭の掴み演出の飛び道具的演出においては石川慶監督の「愚行録」のバスのカメラワークにおける邦画ならざる不気味さと同じよう作家性を感じつつ、吉田恵輔という男は、邦画の安い感動と安い共感に敵を剥き出しで映し出す。そして始まっていく、ダイナミックなアクションを排した、つまりは殴り合いで決着をつけるような陽なバトルアクションではなく、言葉や仕草において相手からマウントをとって優位な位置からボコ殴りにするような陰なアクションを提供してくる。

犬猿の仲の兄弟、姉妹の嫉妬と愛情の間で噛み合って噛みつきあって噛み合わない、人の愚かさや憎い部分を言葉や所作の弾丸に込めて近距離で打ちあう、ある種の精神的な銃撃戦映画を作ってみせている。

あなたは誰に”共感”する?
あなたは誰の立場に”同情”する?
あなたは誰と同じだと”恐怖”する?

嗚呼、早く終わってくれよ~

本作の嫌なところは人間の醜いところを笑えない領域で闘わせながら、ギャグを散りばめて、そしてときにそのギャグをとがらせてブラックユーモアして大砲の如く打ち出してくるところだ。そしてクライマックスのMAXにエモいボルテージを引き上げる感動演出と音楽と過去回想を入れて、ついには涙してしまうような領域に突入させながら、最後にドスンと本質だろ?という悪質な嫌味のスパイスを効かせるところでもある。中盤で伏線として張られた目にまつわる一言がラストショットで見事に決まるのも笑えるのだが笑えない嫌な雰囲気だった。

演出面で過剰にセリフで説明し、作品のヴィジュアリングを阻害している傾向を感じるが、逆に冒頭の演出から逆算すてば、むしろ言葉を弾丸化して腹部をガンガン狙って撃たれているようで、本当の意味で”共感”させることは彼ら彼女らのズルくて卑屈でノンデリカシーで、そして本性の部分の言語化なのだと思った。

本当は☆4.0でのフィニッシュと思っていたが、今私自身を取り巻く環境、職場であり人間関係であり、家族の問題であり総合して本作に”共感”してみると、本作における弟の決定的な狡さや利害の考え方に私自身ボコボコにされてしまったからだ。私は本当にズルい人間であろうと鏡写し的に思えてしまい、他者の好意的なモノを利用し、都合の良い解釈と逃げ場の確保と、責任感がゆえの好意の発信の打算性に吐き気がするほど嫌気がさしたからである。私は本当にズルくて醜くくて、責任感という免罪符を盾に生きているんだなと本当に嫌な気分になった。だから自分の写し鏡映画であれば+0.4点であり今年TOP10クラスに内臓機能が処理できずにこびり付いた映画なのだと実感した。

自分の人生の限界を知らされたような夏だったな~
と思いながら、深夜にジャンクフードに噛みつくのだった。