こうん

ハード・コアのこうんのレビュー・感想・評価

ハード・コア(2018年製作の映画)
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前提条件としておれは、いましろたかしのマンガ群のファンである。
脱力している最近の作風もいいけど、バブルの裏側で“畳とゴキブリと情けなさ涙”の頃の初期いましろ作品が大好きである。
なんなら本棚から取り出して時々涙ぐんでいるくらい。バイブルとして血肉となっているかもしれない。(特に山下と岡田君のシリーズが好き)
本作はそんないましろマンガの初期集大成といっていい「ハード・コア」の映画化だ。

一方で僕はまた山下敦弘映画のファンでもある。
「どんてん生活」から同時代的に追いかけて来て、悲喜こもごもで楽しんできた。
思えば「苦役列車」は芥川賞受賞西村賢太原作の映画化とみせかけて勝手にいましろの未完の傑作(かどうかは未完だからわからないけどそう言われている)「デメキング」を映画化したいまおかしんじ脚本を得てまさにいましろマンガ的な世界を映画で描いており(だから原作者西村賢太は怒っていた)、また山下の大阪芸大同期の寺内康太郎が正式な映画化の「デメキング」を作っていて、また一方で「山田孝之のカンヌ映画祭」(これは傑作だった)でスター山田孝之や松江哲明と接近し、その松江哲明と共同でいましろたかし原案いまおかしんじ脚本監督作「あなたを待っています」をプロデュースしたりと、じわじわといましろたかしに近づいてきていた。
そしてスター山田孝之のパワーもあってついに「ハード・コア」の映画化である!
わーい!待ってましたー!その報を聞いたおれは小躍りしたものである。

さっそく新宿バルト9にぶっこんできました。
結果…

いましろたかしマンガの映画化として完璧である!(泣いた)
しかしそれが映画として面白いかは別問題である!(困惑もした)

いやー、なんでしょうこの二律背反のアンビバレントな気持ちは。

いましろマンガファンとしても山下映画ファンとしても嬉しかったし楽しかった。
右近と牛山の友情、右近の怒り、牛山の純粋さ、右近と左近の兄弟関係、会頭の浮世離れ感、水沼の超俗っぽさ(山下映画常連の康すおんさんの名演!)、あと妙子さんの色気と捨鉢感。それにロボオの由緒正しきロボット感(ロボット三原則に忠実でありながらそれを超えてしまう瞬間!)。
そして、オフビートな語りやなんとも情けない人物たちの滑稽味と哀しみと、そんな彼彼女への優しいまなざし。

まごうことなき、いましろマンガイズムの映画化であり、山下映画である。

だがしかし。
これは…面白いのか?

ひょっとするととても高度なリテラシーを求められる映画なのかもしれない。
世間から弾かれてしまった野郎たちが七転八倒し追い詰められて翔んでいく様を淡々と描いた漫画「ハード・コア」を脳裏に投影しながら観る映画なのかもしれない。
だからおれにとってはすごく面白かったし、右近左近の殴り合いに涙目になっていたんだけど、それは頭のどこかで映画を補完してくれているのかもしれない原作の存在があったからこそ。

しかし、おれの観たのはレディースデーのバルト9。おそらく山田孝之や佐藤健目当てのレディーたちでいっぱいの映画館。
「完」の文字が画面に出た時、盛大な“ポカーン”が劇場内にこだましていた(ようにおれには思えた)。
その空気を支配する“ポカーン”におれはビビり、困惑してしまったのが尾を引いて今心地が悪いというか、座りがよくないのかもしれない。
おそらく予備知識0の彼女たちは、愛すべき愚か者たちの空回りになにも感じなかったに違いない。
「ナニコレ?」となったことであろう。

つまり(原作もそうなのだが)この映画は好き者にそれぞれ孤独に愛される宿命なのである。
そういう映画なのだ。

いましろマンガを忠実にリスペクトをもって映画にすれば、そういうことになってしまうのではないか。
不特定多数の最大公約数の人に好んでもらえるのが商業映画の理想とするならば、本作と作った人たちは“わかる人にだけわかればよい”という態度ではあるまいが、結果的にそうなってしまった本作は商業映画としては、厳しいだろうと思う。
映画の出来不出来とは別に。
それが如実にわかってしまった映画館体験でした。

それにしても「愛しのアイリーン」の時もそうだったけど、好きすぎる原作が映画化されてもどうしても脳内保管してしまうので、その映画が優れているのかどうかが分からなくなるなぁ。もちろんマンガから映画へのアダプテーションが優れているのは当然で映画そのもののクオリティとしても一定水準なのだろうけど、「あぁかなりいい感じに映画になっているぅ」と喜んでいる時点で思考停止してしまっているのです。
ぜいたくな悩みですけどね。
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