るるびっち

ターミネーター ニュー・フェイトのるるびっちのレビュー・感想・評価

4.0
過去の呪縛を解き放つ映画。
サラ・コナーを支えているものは2つ。
愛息ジョンの存在と世界を救ったという誇り。
この前提条件を、あっさりと打ち破る所から始まる。

自分の人生は何だったのか?
時代が変わった時、多くの中高年がそう思うのではないか?
自分の人生は無駄では無かった・・・誰しもそう思いたい。
「救世主の母」という華々しい地位から転落する残酷さ。
ジョンのことはともかく世界は救った。そう信じているサラに残酷な一言。
「スカイネットなんて知らない、敵は別のAI(リージョン)」
20代や30代ならまだやり直しもきくが、サラの年齢で今までの事が無駄だと告げられるのはキツイ。
しかも以前は救世主の母として世界一重要な人物だったのが、今や世代交代。
ピチピチした若すぎる娘が次の世界のマザーと知り、今更子供を産める年齢でもないサラはどう思っただろう。
それを想えば、これほどハードにサラを追い詰める話はないだろう。
ターミネーターに追い詰められているのではない、時代に追い詰められたのだ。

若い頃の美しさを、高齢の俳優が取り戻せる訳はない。
しかし人生の厚みは活かせる。それも成功した輝かしい人生より、上手く行かなかった人生の方が映画としては面白いのだ(残酷な世界)。
ターミネーター以外ヒット作のない女優だから、「私の人生何だったの?」と言う問いかけが響くのである。

ヘリでも置いてきぼりを食らいそうになるサラ。完全に隅っこに追いやられている。世界の中心の地位から、時代遅れのオバアさんに追いやられている。
だがサラにスイッチが入る。
次世代の救世主の母と思われた小娘が違うと解るのだ。
ここの捻りは上手い。結果的に彼女を守ることに変わりはないのだが、サラにとっては意味が違って来る。
次の救世主を産むシンデレラではないからだ。やはり女性同士の葛藤を中心にそえていると思う。
子供を産むのが大事ではないと気付くことで、サラはお役御免のコンプレックスから解放されて自由に戦える。
更に映画全体としても、女性=子供を産むという押し付けられた男性優位社会の抑圧から解放される。

シュワちゃんの戦いに参加する動機は、やはり過去からの解放だろう。
シュワは贖罪のつもりで人間を理解しようと、人間生活をしていた。
けれど、それだけでは自分の犯した罪から解放されない。
新たな救世主を救うことでしか罪を拭えない。彼はそれほど大きな罪を犯したのだ。
ターミネーターは聖書に喩えられる。
サラは聖母マリア。ジョン・コナーはイエス・キリストと同じJ・Cがイニシャル。
そうすると、罪の贖いで女性たちを助けるシュワは裏切り者ユダなのか。
黙示録的な世界感の中で、時代はやはり新たAIに支配される。
以前は強いだけだった女性が、今度は出産の役目からも解放される。
所詮は男のリーダーを産む役割だったのが、今度は違う。

もう一つターミネーターといえば、どこまでもしつこく追ってくるのが醍醐味だが、2作目以降は休む暇を与えないという追い詰め方が手ぬるかった。今回は最初の30分の猛追が徹底していて面白い。
だが実は、諦めずしつこいのはロボットではなく人間の方なのである。
勝率の低い戦いでも諦めないのが人間だ。そこは機械には理解できない不合理性だろう。
むしろターミネーターがドン引きする程、徹底的にしつこく抵抗すべきだ。観客が「人間の方がしつこいんだね」と実感するように。しつこい=諦めないということなのだ。
これは執拗にターミネーターが追って来る話ではなく、いくら追われても諦めずに未来を切り開く人間の魂の話なのだから。
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