朱音

カットスロート・ナインの朱音のネタバレレビュー・内容・結末

カットスロート・ナイン(1972年製作の映画)
3.3

このレビューはネタバレを含みます

もともとアメリカ映画であった「ウェスタン」をバイオレンス、悪趣味、アウトローたちの露悪的要素を前面に押し出したのが所謂「マカロニ・ウェスタン」であり、その流行は一大ブームとなって玉石混交の作品群が産み落とされた。
本作はその流行の末期、1972年にスペインで制作された。クエンティン・タランティーノが『ヘイトフル・エイト』の元ネタのひとつとして本作をオマージュした事でカルト的作品という位置付けとして見られるようになったが、流行の末期に制作された無数の亜流作品のひとつとして観るとエスカレーションが行き着くところまでいったという文脈が理解出来、それほど突飛な違和感を感じない。
バイオレンス、スプラッター描写も西部劇というカテゴリーの中で見ると異様だが、先に述べた文脈からすると腑に落ちる。なかなか見応えがあった。アウトロー達の野獣感も凄かった。

とはいえ語り口はまぁまぁ変な映画ではある。過去を示唆するシークエンスの唐突かつ不自然な挿入、物語の進行具合、キャラクターの行動や、結末など、たしかにカルト的と言えなくもない独特な要素は見受けられるが不条理というほどでもない。
私は比較的素直に納得しながら鑑賞出来た。

山賊が横行する行路での囚人達の護送任務という危険な任務に娘を同行させるのが疑問だったが、そもそもブラウンは金鉱での生活を厭っていた事は冒頭に語られ。囚人たちを繋ぐ鎖が金を加工したものである事を知っていて、囚人たちを利用してそれを独り占めしようと企てていることが中盤に語られる。
つまり何らかのアクシデントを"装うでもして"金塊を強奪した上でこれまでの生活を娘と共に脱しようとしているのか、あるいは"たまたま起きた"アクシデントによって強奪に踏み切ろうとしたのか不明瞭である点が、娘を同行させる事の是非を問う鍵であるにも関わらず、そこのブラウンの当初のプラン、ないしは野心の芽生えを仄めかす描写がいまひとつ足りていないからぎこちない疑問を生じさせる。
個人的に思うのは、女がいた方が見栄えも良いし、スリリングで盛り上げるし、より残酷だよね。という意図ありきで物語が作られていると見ている。

主人公かと思われたブラウンの途中退場は意外性があったし、それによってこの先どうなる?次に誰が始末される?という緊張感を持続させているのは好感が持てる。

ディーンの罪状が最初から不明であった事から彼が妻を殺害した犯人である事はある程度の人が予想出来る事とは思うが、それにしても自分が殺した女の、殺したいほど憎んでいる男の娘とイイ関係になろうとするメンタルはどうなっているんだろう?
という次第で、脚本面の詰めが足りないのは間違いなくある。こういった語りの上手さはやはりタランティーノに軍配があがるだろう。

ただキャシーがディーンの罪を知らないままに彼を愛したまま、あのラストを迎えるのはなかなかクールだよね。ニューシネマ的なシニシズムが効いている。

ロケーションが舞台装置として十全に機能しており、遅々とした重い足取り、閉塞的な息苦しさを擬似的に体感させる。

脚本面の問題はややあるが面白い作品だった。
『ヘイトフル・エイト』抜きにしても一見の価値はあると思う。
朱音

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