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妻よ薔薇のように 家族はつらいよⅢの小のレビュー・感想・評価

4.1
「家族はつらいよ」の看板を副題にした本作のタイトル。内容は笑い、エンタメ性を抑え、メッセージ性を強めた印象を受けた。そのおかげかシリーズ3作目にして山田洋次監督の言いたいこと(もちろん自分的解釈)がなんとなく腑に落ちた気がする。

<直系家族制度が後退してきていて、昭和の時代の話でしょう、と。「サザエさん」の家族観ってもうないと思うんです。一生結婚をしないとか子供を作らないという選択も確立されていて、「家族」という言葉自体が意味をなさなくなってきているかなと>(映画『かぞくへ』の春本雄二郎監督)いう状況にあって、このシリーズは家族ファンタジーなのだと思う。
(http://intro.ne.jp/contents/2018/02/24_2032.html)

小津安二郎監督が描いた「家族の離散」が進んだ現代において、山田洋次監督が理想とする家族像を描いたらこんなカタチになったのではないか(山田監督は「家族の大げんか」への「憧れ」を込めていると語っていますが)。
(https://www.yomiuri.co.jp/entame/ichiran/20160311-OYT8T50042.html)

横浜市のたまプラーザ駅最寄りの住宅地に3世代が同居するというファンタジー。何かあると長男が継いだ家に長女と次男の夫婦が集まり、アレコレお節介なことを言うというファンタジー。現代的な問題をテーマに描きつつ、リアルには離散してもおかしくない状況で、最後は家族が必ずまとまるというファンタジー。

「雨降って地固まる」「心配してくれる人がいることの幸せ」。ひょっとしたら死語になってしまうかもしれないこうしたことは「未来志向」、つまり日本の家族がこれから目指すべきことなのだろうと思う。

目指すべき未来の家族像とは何かといえば、個人的解釈では「薔薇のように」輝いている妻・お母さんがいる家族なのかもしれない。お母さんは自分のことはそっちのけで、家族のことばかり心配している。家族はそんなお母さんを心配している。

お母さんがいなければみんな死んだようになってしまう。2人の息子たちはお母さんの不在を心の底から寂しく思い、両親のどっちに付いていくのかといえばお母さんなのだ、と。日本における家族の求心力は、お父さんではなく、お母さんなのだ。

「一人の女性としての幸せ」という現代で重きを置かれているのではないか思われる観点からすれば、女性がお母さんとしての役割を担うことが良いことだとするような本作はあまりウケないかもしれない。でも核家族化し、家族同士が干渉することを控え、親は親、子どもは子ども、兄弟は兄弟。それって幸せなのか、と。

大げんかしても崩壊しない平田家は現代の家族に対するアンチテーゼ。なるほどな、と思ったものの、長男の言動に思い当たるフシがアリアリのグサグサで、ほとんど笑えなかったのが難点だったかな。

ただ自分の受けたこの感じこそは山田監督が狙っていること。<ハリウッドの映画じゃ、絶対できない体験>、<それは一言にすれば、身につまされるということ>。

<要は、映画が「自分たちの生活を少しでも変えていこうというエネルギーになるかどうか」だ。「『うちも同じだな、あはは』と言って笑って、『よし、今夜、お父ちゃんとちゃんと話をしよう』とか、思ってくれれば、少しは前進だもの、家族のね。そう、思ってほしい、そう思ってくれれば、作り手としてとっても幸せだってことですね」>(先の「YOMIURI ONLINE」の記事からの引用)。

よし、明日、お母ちゃんとちゃんと話をしよう、かな…。

●物語(50%×4.0):2.00
・小津監督が描いた離散する現代の家族を、山田監督はこのシリーズで立て直そうという野望を抱いているのではないかという気がしてきた。大監督の地位をフルに生かして、さらに作り続けていただきたい。

●演技、演出(30%×4.5):1.35
・皆様、安定の演技。演出は結構ベタな雰囲気が…。雷がデカすぎて笑った。

●画、音、音楽(20%×3.5):0.70
・しっかりとした感じかしら。
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