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娼年のumisodachiのネタバレレビュー・内容・結末

娼年(2018年製作の映画)
2.5

このレビューはネタバレを含みます

石田衣良の原作小説を三浦大輔が舞台化し、松坂桃李が主演した舞台『娼年』はかなりのインパクトで、心身ともに消耗しつつブログを書いた記憶がある。記事には批判的な感想も書いたが、衝撃的な舞台鑑賞経験だったのは間違いない。そして、今回の映画化。これは観ないわけにはいかないと思いつつ、公開から日が経ってしまった。ようやく観に行くことができた。

ストーリーは、ラストの一部を除いてほぼ舞台通り。相手にする人数は映画の方が1人少ないかな?くらいで、ほぼ流れも同じだ。ちなみに、キャストは松坂桃李と江波杏子を除いて全員変更になっている。

日々の生活にも、女性に対しても楽しみが見いだせない大学生のリョウは、バイトしているバーで、ボーイズクラブのオーナー静香と出会い、娼夫として働くことになる。女性たちの様々な欲望を知り、仕事にのめりこんでいくリョウ。やがて、自分の中の静香への想いに気付くのだが……。

冒頭からセックスシーン。最初っから松坂桃李のお尻。セックス、セリフ、セックス、セリフ、セックス、セリフ……その繰り返しだ。登場する女性たちが男を買う理由は様々で、リョウは彼女たちの変わった願望を叶えてあげたり、心の傷を癒してあげたりする。男性との濡れ場もある。「なぜ女性が年を取ることに罪悪感を覚えるのか分からない」と語るリョウ。彼が年上の女性に抵抗を感じないのにはある理由があるのだが、何の偏見もなくまっすぐに自分の欲望を受け止めてくれるリョウは客たちに称賛され、ナンバーワンへの道を辿っていく。

松坂桃李も、相手の女性たちも凄い。体当たりとはまさにこのこと!という身を削る演技で、圧倒される。舞台に比べて笑えるシーンも多く、舞台版よりはとっつきやすい内容に仕上がっていた。

がしかし!うーん。やっぱりこれって男のファンタジーだとしか思えないんだよなあ。

舞台版では小道具を駆使したアクロバティックな激しい動きに目を奪われて気付かなかったが、はっきりいってリョウのセックスはワンパターンだ。しかも、「あれで喜ぶか?」という雑な内容で、少しげんなりする。最初の相手と終盤でもう1度セックスをする展開があるのだが、"娼夫としての経験を積んで成長した姿を見せる"というシーンのはずなのに、まるで成長しているようには見えなかった。敢えていえばゴムのくだりくらい?あれで成長したなんてチャンチャラおかしい。(なお、終盤のこのシーンの演出はビックリするくらいダサくて、笑いが起こっていた)

また、これは舞台版でも感じたことだが、ストーリーがキレイすぎる。すべての女性たちは聖母のように優しく、賢く、リョウに心から感謝する。リョウに満足しなかった客はひとりもいない。そんなことあり得るだろうか?リョウをストレスの捌け口にする客も、リョウに負荷をかけるような要求をする客も出てこない。リョウを糾弾した女友達すら、「これがプロの仕事なのね…」と納得してしまう。謙虚で聞き分けがいい女性しか出てこないことに強烈な違和感を覚えるのは、私だけだろうか?

トラウマを抱え、世界に対して心を閉ざした1人の青年が、「表参道」「池袋」「鶯谷」などのダンジョンに囚われたキャラクターたちを癒しながら成長していく、というファンタジーRPGだと思えば納得できる。段々と表情が明るくなっていくリョウの演技は説得力があるし、彼は確かに成長していると感じるからだ。しかし、生身の女性は亀のモーラでもなければ、謎かけをするスフィンクスでもない。リョウを成長させるために存在する物語上のキャラクターとして女性たちを利用するならば、女性に寄り添うようなふりはやめてほしい。

役者たちは文句なしに素晴らしい。あれだけの覚悟で作品に臨めるなんて、尊敬の念しかない。だからこそ、内容に共感できないことがつらいのだ。リアリティを感じない出来すぎた女性たちと、痛みしか想像できないセックスでコミュニケーションをとった気になって、勝手に成長して雑にトラウマに決着をつける。やっぱりそれって、ちょっと独りよがりなのでは?









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