円柱野郎

未来のミライの円柱野郎のネタバレレビュー・内容・結末

未来のミライ(2018年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

甘えん坊な4歳の男の子くんちゃん。
そこに生まれたばかりの妹・未来ちゃんが家にやってくるが、両親は妹に構ってばかりでくんちゃんはふてくされてしまう。
そんな時、くんちゃんの目の前に14歳になった妹の未来ちゃんが現れるが…。

4歳児の行動ってこうだよね的な描写が満載で、監督自身の子育て経験が色濃く投影されているっぽい感じ。
だけど、作品的にはそういった子育てあるあるネタを並べただけの印象が強い内容になってしまった。
それらの子育てネタを繋げるために、母親やひい爺さんの昔のエピソードなどを使って「家族の繋がり」という背骨を作ろうとはしているものの、長編作品としてみると少々断片的なきらいがある。
悪く言えば空中分解一歩手前で何とか踏みとどまったという印象かな。

未来の妹と出会うというアイデアありきで膨らませた話なんだろうけれど、ストーリー上でそれが未来の妹でなければならなかった理由はよく分からなかった。
中庭で出会う人々は4歳児が認知している世界から広がる空想世界の人物とも取れる描写ではある一方で、その時点でのくんちゃんが知りえない人物像の体現者としても現れるので、想像の産物か真に不思議な現象なのかは判然としないわけだけど、そのあたりはワザとぼかしているのだろう。
とはいえファンタジーにもファンタジーなりのルールは必要であるとも思うのだけど…。
そういう意味では、ひな人形ミッションの場面で未来のミライちゃんと赤ん坊は同時にいられないような描写を見せた割に、終盤ではくんちゃんが未来の自分と会話するシーンがあったりして現象の曖昧さもあるよね。
雰囲気アニメだから…と言ってしまえばそれまでだが。

細田守監督が自分の子育て経験を通してこの話を描いていること自体は構わないけれど、結局話の半分を使って監督の体験記の様にしているだけに見えてしまったのは残念。
くんちゃんの空想を通して現実が劇的に変わるわけでもないので物語上の起伏も大人しく感じてしまうし、常に駄々をこねてる4歳児という存在に観客がどこまで寄り添えるかという部分はチャレンジだったw
まあその辺はあたたかい目で観たい部分ではあるけれど、子供の純粋な喜びや驚きや怒りの断片を切り取った物語なら「よつばと!」の方がよほどリアリスティックなファンタジーの気がしたのでした。
(もっとファンタジーに振ると、「となりのトトロ」という超えられない壁が立ちはだかっているw)
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