140字プロレス鶴見辰吾ジラ

万引き家族の140字プロレス鶴見辰吾ジラのレビュー・感想・評価

万引き家族(2018年製作の映画)
4.6
”I am your father.”
”I am your son.”
”義理と人情で世界は救われるか?”

是枝監督の集大成にして
パルムドール受賞の大物映画。
邦画版アベンジャーズ級のキャストを集め
進撃するは人の心の奥の奥。

「ルールを守って何になるのか?」
いつか自身に問いかけたことがある。
「義理と人情が理解できない奴は嫌いだ。」
そう心に決めたときがあった。

職種がらクライアントの契約は一度結ぶと中々切ることができない、哀しい道のりに乗ってしまうことが多い。逆に「なぜ、このクライアントはウチと契約を切らない?」と不思議に思うときがある。クライアントとはよく会って面談時間をついつい長くとって自分の業務の首を絞めることがよくある。遠回りと非効率を経た人間関係は、こちらが思ったほど脆く儚くないことにいささか驚く。契約したから金で繋がっているというのは現実と思って抑制してしまうが、実際理想は心で繋がっていることの価値に重きをおいたっていいと思うし、そのために多少のルールは湾曲させて人間関係以外のところで効率に事を運べばそれでいいだろうと思う。

「万引き家族」
このタイトルで、批判の声がこの作品に向けられている事実に驚いた。犯罪を生業にする家族、年金を不正取得する家族、倫理に反した方法で稼ごうとする家族。それを日本に恥だという人ほど、臭いモノには蓋をして「誰も知らない」そぶりを見せているだけではないだろうか?

「盗んだのは絆でした。」
そんな下品な予告の謳い文句はさておき、今作は犯罪という白黒でジャッジするような簡単に行かない世の中をカタルシスを生み出すことなく、法的拘束力の正義の押しつけと悪の中に栄えた純度の高い笑顔が物語っている。

冒頭の緊迫した万引きシーンを似非スパイ映画的に描いたのちに寒空の下の少女を見捨てられない人の人情で救いだし、家庭に帰るとそこには家族として成立するにいたる”共同体”の談笑がある。家族というのは人が生まれて初めて出会う社会集団と教科書で教わったが、何かこの家族には違和感しかない。その違和感がストーリーの進行とともに言葉の端々や行動の影に沿って解き明かされているミステリー手法が取り入れられており、しかし闇から真実を暴き出すにはあまりにも日常感あふれる家族の談笑と愛情の確認があることが恐ろしいくらいのキレ味で伝わってくる。是枝監督のドキュメンタリー世界で培った世界の片隅の藪の中に分け入る術と、邦画最高クラスの役者陣の肩の力が落ちた素の表情から繰り出される演技合戦には脱帽しかできないし、そしてドキュメンタリーチックな暗さを隠すようなギャグの使いどころがジャストフィットしていて、集大成という言葉は自動的に引き出されている。特にソーメンを食べるくだりからの生々しい性描写とその後の顛末のズンドコシーンはあまりに印象的だ。この謎めく家族構成とそれを1-1の組み合わせで見せるツーマンセルの妙とその描き方も絶妙で、過去の義理で繋がり、そして人情で共同体となった過程、そして驚くほど影の社会存在ゆえのドライな緊張感をこの”家族”というスタンスのミクロなフィールドでスリリングに描く場面も抜け目がない。

ある者は追憶
ある者は期待
ある者は逃避
ある者は恐怖
ある者は感謝
ある者は希望

バラバラな者が義理と人情の名の下で共同体として強い結束をし、心という不確か極まりない者で互いとつながり合う。そこに皮肉なる法律というルール、血縁という呪縛が絡むことによって浮かび上がる、正義の危うさや二者択一の脆さ。

「もっとながい愛で愛してくれませんでしょうか?そういうものが今、僕らにゃいるんだ。」
※B'zの「ながい愛」より抜粋。

経済的に繋がり、法律で囲まれる世界という実は閉じた世界の危うさを、義理と人情で生き抜く術を重ねて共同体となったあの”家族”が、見終わった後もこの世界の片隅にいて、目の前に現れる何かを待っているのではないか?と想像すると非常にやるせなくなってしまう。あの少女は閉じた世界と思われていた自身の道と別の道があることを発見できたのであろうか?そう願ったから前向きに少しばかり笑顔になっていたかもと期待を込めたのだろうか?

不確かなモノが、実は真実の最も傍にあるのではないだろうか?と悶々と考えさせられて、松岡茉優に膝枕されて甘えたいという日々に帰っていく私であった。