バルバワ

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3のバルバワのレビュー・感想・評価

4.8

妻と最速上映に行くこととなりました、ド深夜の上映ということもあり2回ほど仮眠を取っていざ参戦!
因みにバル子(仮名/4歳)は一足先に妻の実家でGWをエンジョイしております!
(因みに私は後日吹き替えverを観に行きました。)

いやぁ…ファッキンスペシャルな締め括り

あらすじは瀕死の仲間を救おうとしたらめっちゃ人助けしました!人助けをしたら自分を取り戻しました!…的な感じです。

【元気ならばそれで良い】
《ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシー》というシリーズを追い続けて9年。スクリーンで彼らがバカをしながら銀河を救う姿を毎回笑いながらも目頭を押さえて観ていました。それが今作で締め括られると聞き、鑑賞前には情緒が不安定になっていた私。
劇場の特大パネルにテンションが上がって元気になったり、ガチのファンの方の素敵なグッズを羨みぐったりしたりしていた私を妻は呆れ果てていました。そして、いざ幕が上がりスクリーンにいたのはいつものデリカシーがなく不器用で仲間想いな彼らで今作もどうかと思う程ミスを重ねまくります。しかし、ハラハライライラしつつも鑑賞していた私の胸に去来したのは「元気ならばそれで良い」という思いでした。

別に彼らが強くなくても頭が良くなくても有能じゃなくても全く問題なく、彼らが彼ららしく目の前の問題に正々堂々と立ち向かっていれば良いのです、結局私はそんな彼らが好きなのですよ。

そして、自分らしく行動すること対話を諦めないことが大きく物事を好転させたりするのです。これこそスーパーヒーロー映画ではないでしょうか。

また、全編を通してキモい造形のクリーチャーや建物、スーツが沢山出てきますし、ディズニー傘下のMCUにしては珍しくグロい描写も多めで監督のジェームズ・ガンが作品のテイストを(ある程度の配慮はあるにしろ)自分らしさに振り切っていて清々しかったです。

因みに妻は「今回はネビュラが凄く良かったし、ネビュラが真面目な分、他の奴らにイライラした。」と圧倒的にネビュラな感想を話していました。

【実は身近なゲス野郎】
今回の敵であるハイ・エボリューショナリー(長いので以降"ハイエボ"と呼称します)は動物や子どもを自分の勝手な思想のために改造したり無理やり進化させたりした挙げ句に自分の思う通りにいかなくなると「もういい!全員殺す!」と癇癪を起こすという質の悪いにも程があるゲス野郎です。

確かにハイエボが救いようのないゲス野郎なのは間違いないのですが、視点を変えると今作でクイルがガモーラに対して「本当の君はこうだ!」と思い込み、詰め寄る姿は今作の敵の全部自分の都合で考える姿勢と通じている気がします。まさに"ありのままではなくあるべき姿を"ってことですね…"べき"ってなんだよ!何様なんだ!

しかし、他者に自分の都合考えを押し付けることは誰だってしたことはあるのではないでしょうか、私は覚えがあり過ぎてこの文章を書きながら吐きそうになっております。こう考えるとハイエボがいかに平然と我々の心に居座っているということがよくわかります。

さらにうがった観方をするのであればハイエボはMCUの親会社であるディズニーを象徴しているのではないでしょうか。
近年の報道などから鑑みるにディズニーは自分たちの都合で物語を捻じ曲げたり(スター・ウォーズの年号、株価の為の続編製作など)、スタッフをクビにしたりしている節があるように思えます。事実、ジェームズ・ガンも数年前1度一方的にクビになっていますし。
そのディズニー傘下のMCUで自分らしさ丸出しに好き勝手暴れ回っていたジェームズ・ガンと今作でハイエボのアジトで暴れ回るガーディアン達が重なって観えたのは偶然でもない気がします。


【能力なんて】
今作を観て感じたことは強さや知能より優しさや正しく有りたいと思うことの方が遥かに大切だということです。

ハイエボは強さや知能などの成果が見え、数値化出来る所謂"認知スキル"に重きを置いているのに対し、ガーディアンズは自分らしさやユーモア、そして優しさや良心などの成果や数値化が難しい"非認知スキル"を重心に置き行動しているように思えます。

この対比が非常に面白くて、認知スキルに傾倒しているハイエボはどうしても支配的になり他者を一方的にジャッジしコントロールしようとします。しかも、彼が支配しようとしているのが主に子どもと動物という元来コントロールではなくまずは愛情を向けることが大切である対象というのも彼がいかに本質を見失っているかがわかります。

だからこそ終盤、子どもや動物は支配もジャッジもしようとせず善意を持ち、目線を合わせ対話で向き合おうとするガーディアンズについていくのですよ。

「能力なんてどうでもいい!優しく自分らしくあれ!」…そんな優しく難しいことを大声で言ってくれる作品でした。
名曲《Come and Get Your Love》でもありのままでいることの素晴らしさを歌っていますしね。

【《Creep》と《Dog Days Are Over》】
鑑賞後で作中で使用された挿入歌を洋楽に疎く英語は苦手、記憶力が皆無な私なりに一通り聴いて歌詞も調べ、シーンをうろ覚えながら思い返すとやはり物語と繋がっていました。(何曲か「どこのシーンで流れていたっけ?」ってなりましたが…)

特に冒頭で流れる《Creep》とエンドクレジットの直前まで流れる《Dog Days Are Over》は2つで1つのような、この三部作を象徴しているような曲でした。

《Creep》は居場所が無く、自分を卑下し、幸せ(私は歌詞の中の"彼女"を"幸せ"と解釈しました)が離れて行ってしまうと思い込んでいるガーディアンズ、主にロケット(作中「I'm a weirdo(僕は変人)」と口ずさんでいましたし)の心情を表しているような曲で、《Dog Days Are Over》は困難を乗り越え、居場所を見つけ、人生が幸せに向かい始める予感がするような今作のラストシーンにうってつけの一曲でした。

どちらの歌詞にも"run(逃げる)"というフレーズが使用されており《Creep》は幸せが走り去って自分から離れていくという意味で"run"が使われているのに対して《Dog Days Are Over》は幸せを追いかけろという意味で"run"が使われていました。
また"run"は過去から逃げていたロケットやクイル、自身の失敗を認めようとせず逃げていたハイエボにも掛かっており、これまた選曲の匠さが光ってましたね。


そして《Dog Days Are Over》で"幸せという名の馬の蹄がやっとこの日が来たんだから"という歌詞があるのですが、これは銀河で困っている人々から見たガーディアンズこそが"幸せという名の馬"ってことになるのかなぁとぼんやり考えておりました。

とにかく《Creep》と《Dog Days Are Over》はヘビロテしていますよ。もうね、泣いてしまいますよ。通勤中、この二曲を交互に聴いていると目が潤んでしまいますよ!

【最後に】
まぁ、ツラいシーンが多いのも事実でライラ達やカウンター・アースのコウモリ一家があまりに不憫過ぎて胸が痛くなりましたし、宇宙空間で死ぬ死なないのラインが曖昧でした。

しかし、シリーズの完結編としての役割はしっかりと果たしており、何気今作で父親としてハイエボとの対比にもなっているドラックスという人物の旅路の果てが本当に心を打たれました、最後のネビュラの台詞込みでもう大泣きですよ。

また、ガモーラとクイルの結末が『アベンジャーズ インフィニティ・ウォー』でのガモーラの死が軽くならないものでとても好ましかったですね。というか今作のガモーラはガモーラなのに以前とは別人という感じがしっかりと表現出来ており、この難しい役柄をゾーイ・サルダナさんも朴璐美さんも見事に演じ切っていて素晴らしかったです!

さてさて、大好きなシリーズの完結編なので好きなところを羅列させますね。


🦝WITH SYLVESTER STALLONEッッ!
🦝遊星からの物体グルート
🦝ネビュラの要所要所でのツッコミの冴えっぷり
🦝ネビュラの笑顔
🦝ネビュラとガモーラの挨拶
🦝最後のガモーラとグルートの会話
🦝宇宙遊泳の下手なマンティス
🦝マンティス「ネコにおなり」敵「ニャーン」
🦝マンティス「愛してくれるし、笑わせてくれる…他に何を求めるの?!」
🦝コスモ全般…巻き舌可愛過ぎ
🦝アダム・ウォーロック全般…妻「途中から武田真治にしか観えなかった」
🦝受付嬢ウラ(演じているのはまさかのラットキャッチャー2)「嫌な奴が来たと思った」
🦝横並びからの長回しのアクションシーン…もう最高
🦝クラグリンに"あの人"からのアドバイス
🦝重力ブーツの使い道
🦝ドラックス「何度でもやり直せる」…泣くぞ!
🦝最高にバカバカしい《天地創造》ギャグ
🦝クイルの膨れ面

…もう大好きッッ!!

最終決戦はパワーアップして勝とうとするのではなくヒーローとしての姿勢で勝利を掴もうもうとする…文句無しのスーパーヒーロー映画ではないでしょうか。

そして、最後は互いの好みの違いを楽しむ姿としっかり結びついている"あの曲"で締める…しかも、そのシーンでの空模様は晴天で妻は「やっぱり物語のどこかにヨンドゥはいるんだね」と呟いていました。

この《ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシー》という幸せなシリーズを追うことが出来て最高でしたッ!!!
バルバワ

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