朱音

ヘレディタリー/継承の朱音のネタバレレビュー・内容・結末

ヘレディタリー/継承(2018年製作の映画)
4.7

このレビューはネタバレを含みます

本物の恐怖を与える類まれなる映画体験。

2019年に公開されたA24配給、アリ・アスター監督の『ミッドサマー』は、ジャンル映画としては異例の大ヒットを遂げ、ロングラン公開され、映画ファンのみならず、多くの人間に強靭なトラウマを植え付け、虜にしてきた。
本作、『ヘレディタリー 継承』はその1年前の2018年に公開されたアスター監督の長編デビュー作で、一般客だけではなく批評家からも大絶賛され、「21世紀最高のホラー」との呼び声も高い。


本作は、区分としてはホラーであるが、アスター監督はまず、第一にファミリードラマとして本作を作ることに専念した。それはニコラス・ローグ監督の『赤い影』(1973年)のような、シリアスなドラマと喪失についての物語であり、ロバート・レッドフォード監督の『普通の人々』(1980年)を彷彿とさせる身内の死をきっかけに始まる家族崩壊を描いた映画でもである。しかし、そこにアスター監督は心霊をサブジャンルとして加えた。
彼がBirth Movie Deathでのインタビューで影響を受けた作品として挙げたのが、溝口健二監督の『雨月物語』(1953年)、小林正樹監督の『怪談』(1964年)、新藤兼人監督の『鬼婆』(1964年)、ジャック・クレイトンの『回転』(1961年)、ロバート・ワイズの『たたり』(1963年)などだ。


冒頭、精巧に作られた邸宅のミニチュアにカメラが寄っていき、その中に小さな人間が生活しているように見せるという錯視的な描写がある。物語が進行すると、そのミニチュアは造形アーティストとして活動する母親アニーが作ったものであり、さらにそれはミニチュアが置かれている、まさにその家を模していることが分かってくる。このシークエンスだけで、この家がドールハウスのメタファーとなり、登場人物が"誰か"の手のひらで遊ばれている無力な存在であること、そして最初からピーターにフォーカスが当たっていたことがわかる。

新鮮な演出だと感じるが、実はこれと極めて似た描写が、スタンリー・キューブリック監督の『シャイニング』(1980年)にも存在する。本作はこのように、新しいと感じるシーンが、実際には過去の作品の断片をとり入れていると思われる場合が多いのだ。さらにそれらはホラー映画のなかに存在する様々なジャンルを横断し、統一感を持っていない。

例えば、暗い部屋で母親が死んだはずの祖母の姿を見るという場面がある。霊は襲ってはこず、何のために現れるのかも判然としないが、その不可解さこそが怖ろしい。これには所謂J・ホラーの影響が見て取れる。

Jホラー的演出について少し述べておくと、"小中理論"というものがある。
脚本家・作家として活躍する小中千昭氏が中心となって提唱された理論で、分かりやすくいうと「恐怖を演出する上での、べからず集」である。
一例を出すと、
「恐怖とは段取りである」
「理由を語らない」
「恐怖する人間の姿が恐怖を生み出す」
といったファクターの積み重ねが、真に迫った非実在性の存在を、映画の内外に浮かび上がらせる。
先述したジャック・クレイトンの『回転』などはそれこそ小中理論の礎となった作品だ。

本作、『ヘレディタリー 継承』における霊的描写にはそういう巧みな手法が多分に盛り込まれている。それによって、バカげた絵空事から、極めて実在感のある、信憑性を生み出しているのだ。

そしてそのつつましさというのは、幽霊というものが人間の心が生み出したものだと感じさせる余地を与え、一種の文学性を発生させている。それは恐怖と狂気を連結させるサイコホラーの領域とも手を結んでいる。

本作では、祖母の意識が生きている人のなかに乗り移っているような描写もある。果たしてそれが悪霊のような超自然的なものの仕業なのか、それとも生きている人間のなかの依存心が、死んだ人物の心理を擬似的に自分の中に作り出しているのか。それをはっきりとは示さず曖昧な位置に置いておくことが重要なのだ。


家族に対する愛情と疎ましさ。
家族とは、お互いを大事に思っていて、いざというときには命を懸けてでも救いたいと思っているというように、多くの映画では描かれてきた。そこに観客は共感を覚えるからである。しかし本作の家族たちのように、じつは家族の存在が邪魔だと密かに思っていて、ときに死んでほしいという願望でさえも、観客によっては共感してしまえるはずである。そして、この気持ちに共感してしまうような、自分の中の恐ろしい気持ちに気づかされた瞬間に、観客は真の恐怖を味わうのである。


セラピーとしての創作。
模型はアニーの作品としてその後も映画の中に登場するが、アニーの模型作りこそ彼女のトラウマを克服する一種の箱庭療法のような行為であり、自身の恐怖を題材にし「製作をしていないと不安になる」というアスター監督の映画作りと重なる。

基本的にアスター監督はこれまでの作品の脚本を全て、自身で書いている。そしてそれらは彼が日常で心をざわつかせたものがインスピレーションとなっている。つまり、彼自身が恐れるものだ。
モダン・ホラーの帝王と呼ばれる作家スティーヴン・キングもまた、自身の恐怖について書くことを一種のセラピーのように捉えていると語っていたが、アスター監督もまた、それを描くことで浄化を行っているのである。

ホラー分野で成功している人は、まさにこの日常の恐怖を主題にする傾向がある。なぜなら、それは誰にとっても共感できるものだから。本作に登場する悪魔崇拝的なスーパーナチュラルなものは、誰にとっても共感できるものではない。しかし、これが家族崩壊、不気味な家という普遍的なテーマを持った作品だったからこそ、登場人物の感じた恐怖はそのまま私たちの感じる恐怖となる。



散りばめられた謎。

地獄の王ペイモン。
日本ではあまり馴染みがないが、ペイモンは実際にヨーロッパの伝承などに登場する悪魔である。

パイモンまたはペイモン(Paymon, Paimon)は、ヨーロッパの伝承あるいは悪魔学に登場する悪魔の1体。悪魔や精霊に関して記述した文献や、魔術に関して記したグリモワールと呼ばれる書物などにその名が見られる。(Wikipedia参照)

劇中で祖母のエレンが身に着けていたネックレスと、実際の文献で記録されているペイモンのシジル(紋章)を見比べてみると、二つはほとんど同じ模様であることが分かる。
映画の内容と同様、文献でもペイモンは召喚者に地位や人文学・科学などの知識も与えると言われている。
映画と共通する、その最も分かりやすい特徴が"王冠を被り、女性の顔をした男性の姿"をしていることだ。ラストの離れ小屋のシーンでジョーンはピーターのことを「チャーリー」と呼んでいる。

アスター監督は、『ヘレディタリー 継承』についてのインタビューで「チャーリーが生まれたときから、ペイモンは彼女の中にいた」と語っている。チャーリーは出生時に「あなたは生まれた時でさえ泣かなかったわ」といわれている。稀にある症状ではあるが、実はここも大きな伏線となっているのだ。
アニーによる儀式後、ペイモンの存在を示唆する謎の光をピーターは認識しているように見えるが、チャーリーには儀式がまだ行われていない序盤から光が見えていた。
つまり、チャーリーの中には既にペイモンが宿っておりペイモン完全復活のために儀式の準備を水面下で行っているのだ。
授業中、またはパーティで作っているものや鳩の首は終盤のジョーンが儀式を行っている机に供物のように置かれていた。

チャーリーの口内で舌を鳴らす「コッ」という特徴的な癖は、楽器を携えた精霊を先導して現れるペイモンの比喩であり、ラストの瞬間ピーターに移っている。これは浮遊していたペイモンの魂がピーターに宿ったことの証左であり、本作で描かれる"継承"である。

葬儀の参列者。
ラストまで観ると分かるが、アニーが知らない方々と呼んだ、エレンの葬儀の参列者たちは、エレンを教祖とするカルト教団、ペイモンの崇拝者たちである。エレンと距離を置いていたアニーがその存在を知らなかったのもこのためだ。

チャーリーが死んだ事故の真相。
窓の外から顔を出し、そのまま電柱に巻き込まれて亡くなってしまう、悲惨な死を遂げたチャーリー。一見スピードの出し過ぎと、不慮の事故が重なった悲劇のように思えるがこの死に方には大きな意味がある。
画面が暗くてとても分かりづらいが、頭を巻き込まれた電柱にはペイモンのシジルがあるのだ。
チャーリーは女性であるため体内にペイモンが宿っていても、しょせんは仮初の"箱"でしかなかったのだ。ピーターに宿すことが最終的な目的である以上、用済みのチャーリーは消されてしまったのだと考えることが出来る。電柱にシジルを描いたのは当然、ペイモンの教徒たちであろう。
また、作中を思い出して欲しい、チャーリー、アニー、エレン、女性の犠牲者全員に共通する要素が、"死体には首がない"ことだ。
"女性の顔"をした、男性の姿であるペイモンを復活させるため、この家系の女性たちはペイモンに首を捧げ"生贄"となることが必須なのだろう。
序盤でチャーリーがハトの首を斬ってポケットに入れたのも、十分な伏線だったのだ。

ペイモンの儀式。
劇中の書物に描かれるペイモンは文献の記述のようにヒトコブラクダに乗っている姿が見られるが、注目したいのはペイモンがぶら下げている3つの首だ。劇中でのペイモンの儀式は、グラハム家の女性の首を3つ捧げることが条件であったのかも
しれない。
また、祖母エレンは離れ小屋で王妃リーとして飾られていたのをおぼえているだろうか。
悪魔を崇拝するが故に、自分の孫の肉体と、死してなお婚約したいという祖母エレンの異常な計画が垣間見える。

アニーの兄チャールズが残した言葉の意味。
アニーの父・兄もすでに亡くなっていることが中盤明かされるが、兄チャールズの「母さんは僕の中に何かを招き入れようとした」と遺書に残し、首吊り自殺した件が気になる。
恐らくエレンは兄にペイモンの魂を宿そうとしていたのだろう。だが、恐ろしさに駆られたチャールズはノイローゼになり、自殺してしまった。そのため白羽の矢がポールに立ったのである。
エレンの寝室で自殺していると語っているということは、エレンも予期せぬ何かが起こりペイモンに完全に支配されることなく兄チャールズは息を引き取ったものと思われる。

劇中で現れる謎の言葉の意味。
物語の節々で登場する「ザザス」「サトニー」などの謎の言葉。これも実際に古来より伝わる降霊術(ネクロマンシー)の一種として文献などに残っている言葉らしい。
また、本作では謎の言葉以外にも、壁や床に多くの象徴的なシジルが散りばめられている。

「Satony(サトニー)」
物語序盤のチャーリーの部屋の壁で見られる言葉。
「死者とのコミュニケーションを取るために使われた言葉」と言われている。
チャーリーの奇行は、エレンが儀式を進めるために死してなお、チャーリーに指示を出していたのかもしれない。

「Zazas(ザザス)」
グラハム家夫妻のベッドに書かれた言葉。
「Zazas」は実在した著名なイギリス人オカルティスト、アレイスター・クロウリーがコロンゾンという悪魔を呼び出した際に使用した言葉と言われているらしい。
チャーリーを失ったアニーが、悲しみに暮れてペイモンが祀られていた離れ小屋で眠るシーンの前に描写されているのが印象的だ。
チャーリーを蘇らせようとしてペイモンを召喚する儀式を行ってしまうアニーを示唆している。

「Liftoach Pandemonium(リフトーチ・パンデモニアム)」
アニーによる儀式終了後、アニーのミニチュア作成作業場の壁に書かれた言葉。日本語字幕では「地獄の扉よ、開け」と訳されている。
「Liftoach」はヘブライ語で開くという意味で、「Pandemonium」は地獄の意味に加えて、ルシファーがいる悪魔の巣窟という意味もあるそうだ。
ラストでジョーンは「良き使い魔を与えたまえ」と発言していることから、ペイモンはいくつかの悪魔を連れているのだろう。
儀式を始めてしまったことにより、ペイモンが力を持ち始めてしまった事を暗示している。事実、これより先、謎の発光現象が多く見られるようになる。その光の正体はペイモンの魂そのものだろう。

「ザンタニー、ダグダニー、アパラゴン」
ピーターが学校での休憩中、ジョーンが遠目からピーターに叫ぶ呪文。
本来は召喚された悪魔を霊界へ還すおまじないと言われている。
劇中ではピーターに対して「肉体から出ていけ」と言っていた。これはペイモンが召喚されてなお、身体を明け渡さないピーターに「消えろ」と言っているのだ。

床に描かれるトライアングル。
トライアングルは冒頭エレンのベッド付近の床に描かれているのをアニーが発見する。
トライアングルは古来より霊や悪魔の召喚をするために大きな役割を果たすシンボルとして扱われてきたようだ。
ジョーンの机にも中心にピーターの写真を添えたトライアングルがある描写があり、ピーターの肉体にペイモンを宿そうとしていることが分かる。

愛犬レクシー。
グラハム家の愛犬レクシーも悪魔の存在に勘づいていたようなシーンが散見される。
アニーがチャーリーを呼び寄せるための儀式後、それまで全く吠えていなかったレクシーが外で執拗に吠える声が聞こえる。また、ピーターがベッドで頭を引っ張られている際、レクシーが吠えているのだ。
神社の狛犬やギリシャ神話に登場する番犬など、犬には魔除けの力があると言われてる。

また、ラストのピーターが離れ小屋に向かうシーンでは背景に倒れているレクシーを目視できる。
恐らくは魔除けの力を恐れてか、ペイモンの教徒たちが事前に殺害したのであろう。

アニーの夢遊病。
自我のない夢遊病の状態でアニーは実の子供であるピーターとチャーリーと心中しようとしていた。
ここから読み取れるのは、彼女の深層心理の中でこのままだとペイモンが完全に復活してしまうことを知っていたということだ。
地獄の王であるペイモンの復活を阻止するためには、呪いの血筋であるグラハム家の血を途絶えさせなければならない。自分が意識していない間にも復活は進んでしまっていることを無意識下で知っていたアニーは自ら命を落とす行為を決行しようとしたのではないか。

ジョーンがアニーに飲ませたお茶。
アニーがジョーンの家に上がったとき、ジョーンに出されたお茶を飲むシーンがあるが、ここで口元に黒い何かが着いてふき取る描写がある。
これは、アニーを錯乱させるためにジョーンが呪いか、薬物のような効果を齎す何かを含ませたお茶であったのだろう。この後の展開でアニーはグラハム家で完全に孤立してしまう。ジョーンに見せられた儀式ももしかするとこのお茶を飲んだせいで信じ込んでしまったのかもしれない。

救われないラストは冒頭授業シーン「ヘラクレスの選択」で暗示されていた。
実はこの物語の結末は冒頭の授業シーンで結論付けられている。
ピーターが上の空で聞いている「ヘラクレスの選択」では、全てを支配できると考えている傲慢なヘラクレスに対して選択肢があれば悲劇性は高まるか?低くなるか?という疑問提起をしていた。

選択肢があれば悲劇を避けられるかもしれないという意見の一方で、「どんな選択をしても避けられない運命があるならそこに希望はなく、絶望的な仕組みの中の駒でしかない」と異を唱える生徒の意見でシーンが終わる。

物語の形を、円環構造とするため、一見無関係な講義の中で披露してみせる。物語の中で無関係なものは存在せず、調和の元に収斂されてゆく。こうした手法はドゥニ・ヴィルヌーヴ監督にもみられるメタ的な手法だ。

原題『Hereditary』
直訳すると、「遺伝的な」「先祖代々の」「親譲りの」という意味だ。この意味から物語を考えてみると、ヘレディタリーは家系による恐ろしさと絆の両面を描いた作品であるように感じられる。



さいごに。
本作、『ヘレディタリー 継承』は様々な過去作を引用しながら、虚仮威しに堕さない確かな演出力、現代的なブラッシュアップによってジャンル映画の格調を大幅に引き上げてみせたモダン・ホラーの傑作だ。
アスター監督はラストのカタルシスをものすごく大事にするタイプの監督で、そこに至るまでの映画の流れを緻密に計算している。語るべきキャラクターと物語、意味に富んだヴィジュアルやイメージ、彼は本当に"何が撮りたいのかわかっている"。そうして作られた本作は、彼の作家性の基盤とも言える「家族」をテーマにした、長編1作目にしてホラー映画のマスターピースとなったのだ。
朱音

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