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博士と狂人のNMのネタバレレビュー・内容・結末

博士と狂人(2018年製作の映画)
3.2

このレビューはネタバレを含みます

事実をベースに脚色を加えたドラマ。
辞書を作るという作業には研究や事務作業のみではなく、その他にも超えなくてはならない問題がたくさんがあった。
情熱的な編纂者たち、多くの協力者、それにやっかみで足を引っ張る者たち。
ベテラン勢や専門家では動かせない問題を、意外にも変わり者やよそ者が押し進めることはよくあること。
いっけん難しそうな雰囲気はあるがストーリーに難しいことは何もなくわかりやすい。話はテンポ良く進み起承転結も盛り上がりとても映画らしい展開。豪華俳優陣も見どころ。


冒頭。野次の飛び交うなか被告として法廷に立つ、アメリカから渡欧してきたマイナー博士と呼ばれるその男。
精神を病み、妄想から人違いの殺人を起こした。
家に逃げこもうとした被害者は、玄関を開けた妻の眼の前で博士によって撃たれた。
マイナー博士は重い精神疾患とみなされ極刑は免れたものの、一体彼に何があったのだろうか。

マイナー博士は病棟に収容されたが、自分にしか見えない男とやらに警戒して、よく苛立ちろくに眠りもしない。どうやらその見えない男と勘違いして無関係の男性を殺したようだ。
勘違いで殺めてしまったこと自体はとっさに謝罪したことからも分かるように、心から反省しているようだ。

イギリス。この国の言葉は世界へ広まった。
オックスフォード大学出版局の理事会ではそれを詳細かつ正確に体系化する言語辞典を作成するプロジェクトを始めて20年。だが言語は常に進化し何の成果も出していなかった。

理事会のフレディ氏は一人の男を連れてきて推薦した。
マレー氏はスコットランドの仕立て屋の息子。生活のため14歳で学校をやめた学士号を持たない学者。だが優れた論文をいくつも発表しているらしい努力型の秀才。
膨大な言語知識と情熱を持っており、その場にいた編纂理事会は誰も反対する理由を見いだせなかった。実は本人も受かるとは思っていなかった。
採用を知ると妻も幼い子どもたちも彼の仕事を力強く応援してくれた。

一向に進まなかったプロジェクトだが、マレー氏の発案で一般ボランティアを100人規模で集め数年で完成させようという目処を立てた。
だが編纂理事会も一枚岩ではない。
スコットランド出身かつ学位がなく、そのくせ情熱や個性を隠さず堂々と意見を述べてみせる彼を歓迎しない者もいた。
彼らにとってマレー氏は責任を押し付け自分たちの長年の敗北から目を逸らせるのにうってつけの標的となった。

作業は単語を一つ一つ調べていく。この単語がいつからどういう由来で使われ、どう意味が変化していったのか、膨大な書物の中からひたすら出典を探す。

マイナー博士は何やら軍医として戦地で活動したときに強い自責とトラウマを負い、ある男が殺しに来るという観念が生まれてしまったことが分かる。
さらに今回殺人を犯してしまいますます恐怖に苛まれている。
病棟は、同じ疾患で収監されている人が一緒くたにされ、精神治療に良い環境とはお世辞にも言えない。これでは健康な人だって悪化するだろう。
この夜も幻覚を見て苦しんだ。
だが本人は自分が病気であることを認めていないか少なくとも認めたくない様子。

そんなある日、病棟内で大事故が起き一人の看守が重症を負った。
軍医時代の仕事の仕方をふいに思い出したマイナー博士は、普段と打って変わり別人のように冷静かつ的確に処置。一人の看守の命を救った。
他の看守であるマンシーたちは仲間を救ってくれたことに感謝し、院長に取り計らった。
院長の直接の治療も受けられることになったが、院長は内心、由緒ある家柄の人間がなぜここまでの状態に陥ったのかについての興味本位のようだ。
環境は良くなり絵を描いたり読書もでき、状態は徐々だが落ち着いていく。
看守マンシーをはじめ周囲はマイナー博士の態度に戸惑いつつもできる限り親切にし敬意を払った。

マンシーは長年ここに勤務し患者たちを強く警戒していたはずだが、仲間の命のためにマイナー博士に刃物を渡した。何かあったら自分だって責任を問われるかもしれないが、それでも博士に賭けた。人を信じる心を持つ優しい人物なのだろう。

マイナー博士は差し入れられた本の中にあったオックスフォード辞書のボランティア募集のチラシを見つけた。
壮大なプロジェクト内容に強く惹かれ、一晩で大量の単語カードを作って送りプロジェクトに応募した。
マレー氏は彼を排除したい上司から厳しく追い込まれピンチに陥っていたが、マイナー博士からの思わぬ手助けにより大きく進捗した。
マイナー博士はただ知識があるだけではない。言葉そのものだけでなく頭の中の大海でそれらをつなぎ合わせることができるようだ。いわゆる天才。
マレー氏にとっては救世主。
早速手紙を送ると、難関だった単語もすらりと答えを出し、このプロジェクトに生きがいを見出していることも書き添えられていた。

一方マイナー博士が間違って殺した男の未亡人と子どもたちは辛い日々を過ごしていた。
看守マンシーは殺人を悔いるマイナー博士に頼まれ、彼が軍から受け取っている年金と、クリスマスには食料を届けた。
妻はマイナー博士を許しておらず本来なら一旦は拒否したが、悩みつつも幼い子どもたちのため受け取ることにした。
貧しくとも誇り高い彼女に、マイナー博士はかえって好感すら持ったようだ。

マレー氏が病棟のマイナー博士を訪ねる。
知的な会話を交わしながら、マレー氏は博士の足を繋ぐ鎖に目を留めたが、引き続き協力し合うことを約束して別れた。

やがてついに完成した一巻目(AからBまで)の編纂者名にはマレーの名が刻まれ、同時に博士号も授与された。
しかしますます彼に強く嫉妬し失脚を望む者も。

未亡人イライザはマイナー博士をいまだ許せないものの、支援を受け取っていることもあり面会を重ねるように。
彼女は文字を読めなかったが子どもたちのためにと彼から教わった。
マイナー博士にとって少しでも償いができることは何よりうれしいこと。編纂の仕事にも携わることができてマレー博士とも友情を築き、平穏な日々が続いた。

ある日イライザは面会に子どもたちを連れてきた。
幼い子たちは微笑んでくれたが、ものごころのついている長女だけは怒りを彼にぶつけた。
夫人はそれを詫び、私はもうあなたを恨んでいないからと彼の頬に口づけをくれた。

しかしマイナー博士はまるで自分が許されるような気がしていたことを自覚し、改めて強い自責の念に苦しんだ。
なによりイライザからの愛情は、まるで彼の夫を再び殺すような罪だと感じた。
そして激しく自傷してしまい、別室へ移される事態になってしまう。

オックスフォード辞典一巻の批評は必ずしも芳しくなかった。
ライバル大学や他国から重要単語の抜けを指摘され、編纂理事会はマレー博士一人に責任を押し付け責めた。
新聞社は、辞典編纂に殺人犯であり精神病患者が携わっていたことをスクープのように記事にした。
ついに後任者の決定を告げられたマレー博士。
全てを捧げてきた仕事を途中でやめたくないし、それに収監中のマイナー博士への悪評を正して、彼にきちんと謝辞だって書きたかった。
もうだめだ、ロンドンに帰るしかないと諦めるが、そんな彼に妻が発破をかける。妻は囚人を編纂に関わらせていることをよく思っていなかったが、このピンチの時には夫を強く肯定してやった。
お陰でマレー博士は思い直す。

その間にもマイナー博士の精神状態は、改めて襲われる自責の念でどんどん悪化。
そして内心患者を救う気などないさらさらない院長のもと、治療と称した拷問のような処置を続けられ瀕死状態。この院長は、良家の生まれで頭脳明晰だった人物がなぜここまでの症状に陥ったのか実験対象として興味を持っていただけであり、人として扱う気などなかったようだ。
院長は無理やり訪ねてきたマレー博士に、もう意識はないですよと言い放つ。でこのままの状況を許しておけばそうなるのも時間の問題だろう。
アメリカ人であるマイナー博士に政治的な恩赦や酌量を与えると、社会の反感を買ってしまうという問題もある。
マレー博士にもマイナー博士にも救いがない。

最後の手段。
マレー博士は彼を推薦したフレディの介添えのもと内務大臣へ直談判へ向かう。
大臣は大部屋で大勢に囲まれ多忙で面談を断られたが、マレー博士はあなたに一人の人生を救って欲しい、と大声を部屋に響かせた。
静寂ののち、大臣は時間を取ったうえ機転を効かせ、マイナー博士を国外退去にしてくれた。
そしてマレー博士が責任者として編纂業務へ戻る指示も出してくれた。
おまけにクビ命令を出した意地悪理事には地方への左遷指示も。
事態は大逆転。
博士らの死後70年経ち初版が完成、今も尚編集は続けられている。


マレー博士の妻や子どもたちの協力は多大なものだった。看守マンシーも人生を賭け博士たちに協力した。
多くの人の尽力があって始めて成し得た事業だったようだ。
マレー博士やマイナー博士が時々答える言葉の定義が実に美しい。詰め込んだ知識ではなく深く理解したものが整理整頓されて口から出てくる。
二人の友情がほぼ知性への情熱のみで成り立っているのも興味深い。
精神を病んだマイナー博士役ショーン・ペンは、回想シーンで見せる軍服姿の時代との変わりようがまさに別人ですごい。
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