140字プロレス鶴見辰吾ジラ

存在のない子供たちの140字プロレス鶴見辰吾ジラのレビュー・感想・評価

存在のない子供たち(2018年製作の映画)
4.2
【告発】

冒頭で「僕を産んだこと」で両親を訴える主人公の少年の身分証明がなく年齢判別すら危ういという「何故産まれた?」という存在意義の危機から始まる。空撮で見せるスラム街の精神的空虚が印象的で、ガラクタを組み合わせて作ったマシンガンで遊ぶ様はどこまでもアンチハートフル。主人公の少年と妹の離別シーンのエモーションとそこから逃避行を始める少年。そこで出逢う身分証明のできない母子から、日本のコンテンツでいうと「ルドルフとイッパイアッテナ」の真逆を行く存在証明できないことへの恐怖が突きつけられる。少年がサバイバルが如く片隅で生きよう、そして生かせようとする存在に降りかかる災難で心が折れる瞬間に胸が痛い。サバイバル生活の中で成長した少年の眼差しが冷たくなっていく過程が鮮烈だが、その生活の中で親がしていたような束縛をしていたことも含め同じ穴のムジナ的回帰が苦しい。そして生放送番組への告発が爆発的にエモーションであり、そして「子どもを作るな!」という未来に向けて生を呪われぬよう願う少年を救ってあげられない我々の側へ向けられるラストカットの笑顔に、背けている現実への罪悪感を帯びさせる。「万引き家族」よりも崩れた世界の話であるし、「天気の子」の衝動的家出とはわけの違う存在そのものの証明ができない存在は、証明書という紙切れ一枚で陽になり陰側に落とされるというこの世という地獄を思わせてしまう。スパイダーマンの親戚ゴキブリマンというヒーローを演じている老人が電話番号を誤魔化せないシーンや鏡の反射で隣人宅のテレビを見るシーンなど救いのあるシーンが入ることで彼らの日常に大きな概念的正義での告発映画だけにならない魅力も感じる。