愛鳥家ハチ

存在のない子供たちの愛鳥家ハチのネタバレレビュー・内容・結末

存在のない子供たち(2018年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます

ナディーン・ラバキー監督作品。本作は、是枝監督の『誰も知らない』に『万引き家族』を掛け合わせて、現代中東の社会問題を満遍なく振りかけたような作品だったと思います。社会が抱える諸問題によって構築された"精緻なパズル"に圧倒された映画体験となりました。
 具体的に浮かび上がる問題群としては、無戸籍者、育児放棄、家庭内暴力、児童婚、児童労働、人身売買、スラム、不法就労、国外退去等々が挙げられます。こうした諸問題は複雑に絡み合っており、全ての要素を一つの映画に収めることは極めて困難だとは思いますが、本作ではそれらが2時間半という枠に見事に嵌っていました。"精緻なパズル"と呼んだ所以です。
 また、ドキュメンタリーを思わせる作風が奏功してか、本作の"現地感"ないし"没入感"も半端ではなく、実際にレバノンの街を彷徨っている気になる程。中東の町の雰囲気を窺い知ることが出来る作品であったともいえます。
 以下、印象に残ったトピックについていくつか。


ーー原題、邦題、英題
 まず、邦題は『存在のない子供たち』とされ、無戸籍児の問題に焦点を当てたタイトルとなっていますが、英題は"Capernaum"、原題(アラビア語)は"كفرناحوم"であり、カペナウムという、新約聖書の舞台となった町の名前が使われています。カペナウムはイエス・キリストの宣教の地であったと同時に、どうやら悪徳の蔓延る町でもあったそうです。
 監督は、悪徳に起因する負の連鎖の代名詞としてカペナウムをタイトルに選んだのではないでしょうか。あるテーマに焦点を当てた邦題も見事ですが、広がりのある原題、英題もまた深みがあるなと思った次第です。

ーーゼイン
 主人公ゼイン、戸籍が無いため年齢は推定12〜13歳。ナイフで人を刺し、傷害罪で少年刑務所にて5年服役の判決を受ける。機知に富み、嘘をつくことをも厭わないが、全ては生き抜くため。妹サハルを守ろうとする優しさとたくましさを兼ね備えています。彼の凛とした表情が本作を傑作の域に高めてくれていました。

ーー児童労働
 両親に学校に行きたいと言うも聞き入れて貰えず、路上できょうだい達と野菜ジュースを売る日々。母親は学校に行かせることを許容する素振りをみせるも、学校で手に入る物資が目的であり、極めて打算的。両親ともに教育の必要性には思いが至らず、子供を働き手としか認識していないことが浮き彫りになります。
 結局のところ、ゼインの両親は、子供に教育を施したり、何かを与えたり(give)するというよりは、子供を使って生活の糧を得るといった具合に子供から搾取(take)することばかりを追い求めていたといえるでしょう。この様な親は糾弾されるべきではありますが、そうせざるを得なかった過酷な環境に思いを致すと、なんともやるせない気持ちになります。

ーー児童婚
 兄ゼインの必死の抵抗もむなしく、11歳の妹サハルは、借家の家主のアサードと結婚することになってしまいます。その後、サハルは妊娠二ヶ月頃に大量出血をしますが、身分証がないため手当が受けられず、病院の玄関で絶命することに。裁判でのアサードの弁明によれば、義母も11歳で結婚し、特に児童婚自体に疑問を持たなかったとのこと。
 他方、サハルの父親は、ベッドも食べるものもある環境にやりたかったといいますが、単なる口減らしなのは火を見るより明らかでした。妹の結婚相手が借家のオーナーで、かつ両親が借家の賃料を満足に支払えていない状態にあっては、ゼインが訝しみ憤るのも尚更当然というものです。

ーーラヒルとヨナス
 エチオピア出身で不法就労中の女性ラヒル・シファラ(偽名: ティゲスト)。元々はハウスキーパーとして正規就労していたところ、息子・ヨナスが生まれます。国外退去となり子を奪われることを恐れ、ラヒルは不法就労に身をやつすことに。その後、家を飛び出したゼインが住み込みでヨナスの世話を見ることになりますが、ラヒルはヨナスを家に残したまま逮捕されてしまいます。留置所仲間から「何も言ってはいけない。子供を取り上げられる」と入れ知恵され、ヨナスの存在を黙秘し続けます。
 これについては、結果としてラヒルはヨナスと再会できるから良かったものの、若干13歳の少年に幼児を託したままにするのはあまりにも危険だったのではないかと思いました。個人的には、(この辺りは当局の実際の対応によって変わってくるとは思いますが、)当局に保護を願い出るべきだったのだと考えています。どうしても『誰も知らない』の過酷な生活を想起してしまいますし、本作でも描写されている通り、ヨナスが人身売買の餌食になってしまいかねません。
 仮に一時的に引き離されたとしても、生き延びてさえいれば、再び会うことは出来ます。やはり当局による保護を要請するか、可能であれば、接見等を通じてNGO等による助力を願うことが賢明だったのだと思います。

ーー足枷
 ゼインの家庭は、幼児の片足を綱で縛ることが当然の環境でした。利発なゼインが幼児のヨナスの片足を縛ることになってしまったのには、胸が痛みました。親の背中をみることで、刷り込みが起きていたのだと思います。

ーーアスプロ
 表向きは街で雑貨屋を営む中年男性のアスプロ。しかし裏の顔は、人身売買や身分証の転売等の立場の弱い人をダシにして生計を立てる影の存在。例えば、持ち主が爆殺され行き場を失った身分証を転売する際には1500ドルを提示し、かたや、幼子であるヨナスを買い受けようとする際には500ドルを提示。
 このアスプロという人物は、裏稼業の反社会性もさることながら、人間性もなかなか残念でした。ゼインがアスプロのもとを訪れた際に、アスプロは飲み物とサンドイッチを振る舞うのですが、あぁ中東らしい共助の精神があらわれていていいなと思わせておいて、後でゼインに飲食費として100ドルを請求する姿にはほとほと呆れ返りました。
 慈善家風にみせかけて、冷徹な損得感情しか有していないという人物描写は、絵に描いたような悪役の姿を示してくれていました。

ーー宗教分布
 レバノンでは、多数派はイスラム教徒ですが、キリスト教徒が人口の4割を占めているそうです。作中、キリスト教の神父とボランティアらしき人々が留置所に慰問に来ますが、歓迎する人と無関心な人とが二分されていました。反応が二極化するのは、おそらく各人の宗教が反映されてのことだと思います。それぞれの宗教が混ざり合うのではなく、きっちりと棲み分けをしている姿は、多年にわたる歴史に由来しているのだと想像します。

ーー生殺与奪
 勾留中のゼインの面会に来た母親は言い放ちます。「神は何かを奪っても何かを与えてくださる。妊娠したの。この名前はサハルと名付ける」これに対して、ゼインは、「心にナイフが刺さったみたい」と。まだまだ子供なのにお嫁に出したあなたのせいでしょう!という心の声が聞こえてくるようでした。

ーー少年の告発
 自分を産んだ罪で両親を訴えるゼイン。法廷での主張は「育てられないなら生むな!」という点に集約されています。とりわけ、告発の端緒となったテレビ生電話での叫びは胸が痛むものでした。
「親から聞いた優しい言葉は、出ていけクソガキ!で、他は殴られた思い出しかない」
「丸焼きチキンのような最低の人生だ。尊敬される人生でありたかった!」

ーー笑顔
 もっとも、作品のラストショットでゼインのふとした笑顔が示されており、彼の表情から一筋の希望を感じ取りました。作中の彼の利発さや逞しさをみるに、彼の今後はきっと大丈夫。彼の笑顔は胸を張れる人生航路の到来を示唆しているのだと信じたい。



ーーメモ:
・クレジットには"Doha Film Institute"の記載あり。本作はレバノン、フランス合作映画ですが、カタールも一枚噛んでいる模様。
・具体的な商品名である「インドミー」がインスタントラーメンを意味する一般名詞になっていたのが印象的。メキシコでは「マルちゃん」がラーメンの代名詞であることと同じだと思います。
・薬剤を砕いて水に溶かし、そこに服に浸けて乾燥させた上で刑務所に差し入れるシーン。なんだかありそうな話だと思いました。刑務所への持ち込みに関しては、警察犬によるチェック等の臭気選別が必要なのかもしれません。
・子供にタバコを吸わせているシーンがありますが、さすがにニコチンの入っていないフェイクの小道具だったと信じたいところ…。
・粉ミルクを粉のまま口に含ませるシーンを始めとして、乳幼児であるヨナス役の子の扱いがやや荒いのが気になりました。リアリティを持たせるためには必要だったのだと思いますが…。
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