140字プロレス鶴見辰吾ジラ

アメリカン・アニマルズの140字プロレス鶴見辰吾ジラのレビュー・感想・評価

アメリカン・アニマルズ(2018年製作の映画)
3.9
【青年の日の思い出】

青春は
失うからこそ
素晴らしい

そんなことあるかい!?

「そうか、君はそういうヤツだったんだね。」
by 正義の代表ことエーミール先輩。

本作を鑑賞して思い出したのは、中学1年生で国語の教科書にて出逢ったヘルマン・ヘッセ作「少年の日の思い出」である。ある日突然というわけではないが、初期衝動と胸の奥底にある“正義”に対しての反抗心に近い冒険心が目覚めて、盗みを犯してしまい、そして客観視すればあまりに滑稽な愚行録になってしまったという若者の顛末をトリッキーに描く。冒頭の反転した日常と、今から起こる彼らにとってドラマティックな犯罪劇へのメイク作業、そしてスローモーションで描く最高に冒険心滾る瞬間…そして、顛末を振り返る本人登場、ご家族登場の回顧録的リアリティ。「アイ・トーニャ」に通ずるインタビューシーンによって彼らのあの日までのエモーションを蘇らせる手法は、最近のトレンドのようだし、本作でも映画的エンターテイメント≒ドキュメンタリー的回顧録の構図を作り出すことでの顛末の初期衝動のエモーショナルな瑞々しさと幕引きの胸を焦がす彼らの墜落と刹那さが、より心を刺しにくる。

しかしながら、先述した「アイ・トーニャ」よろしく振り返ると愚行でしかないわけだが、実はドキュメンタリックな手法でリアリティ路線でありながら、あの時何と言ったか?曖昧な記憶や、証言のみで確たる証拠がない細かなディティールを構成する要素の信頼性が欠けているのが興味深い。上記で例に出したヘルマン・ヘッセ作「少年の日の思い出」も、冷静に考えれば回顧録を主人公視点でエモーショナルに語っているものだ。あの作品の主人公は、一日中両親の言葉も無視をして野山をかけずり回り昆虫採集に明け暮れる、ある種の病的な人物だ。正義の代表とされたエーミールに対して、嫌味のような言い回しに反抗心を抱き、コレクション室に忍び込み蝶を盗んだ挙句、良心の呵責や咄嗟の愚かな判断でそれをダメにしてしまい、謝罪に行っても当然の如くボロクソに言われながら、主人公は被害者の喉笛に噛みついてやる!とまで自分思考なのがいただけない。言ってしまえば衝動的に犯罪を計画し、それがエモーションの後押しでエスカレートして犯罪のディティールが仕上がっていってしまう反倫理的危うさの楽しさ、今で言うYoutuberの暴走のようなワクワク感で仕上げられながら、「オーシャンズ11」や「レザボアドックス」を引用した頭の中の想像した最高の瞬間が、夜ベットの中で好きな子を想い右手を汚す男子生徒のようで苦々しい。主観視点では盛り上がるも何か客観視点が入ると急に愚行へと変貌する。自分を守るために偽ったかもしれない彩られた記憶なのか否かを想うと本作の奥行は広がり、主観と客観を時間軸と空間軸をイジったあるラストのシーンのキレ味に唸ってしまった。

鳥の絵の“目”が印象的なのは
自分の愚行コンプレックスを反射して
見られている彼らだったのか?


そうだ、彼らはそういう奴らだったんだ…