140字プロレス鶴見辰吾ジラ

愛がなんだの140字プロレス鶴見辰吾ジラのレビュー・感想・評価

愛がなんだ(2018年製作の映画)
4.2
【不屈のラブドライバー】

絶妙なタイミングで響く除夜の鐘や、急に始まる不細工なラップ、味噌煮込みうどんに投下されるタマゴ、無駄にカットに映り込む金麦…。妙に愛おしく、やはり不気味で、そして見捨てられない。誰もが先端にカッターのついたブーメランを投げ合うような恋愛映画。愛なのか?依存症なのか?これらの思考回路に、おそらくAIが踏み込むことのできない領域なのが人間らしいのか?

自分の人生をすべて好きな男子に注ぎ込める系女子を岸井ゆきのの妙に艶めかしい肩から鎖骨にかけてのリアルが非常に良い。都合の良い系女子を利用してしまう自惚れやを成田凌がRISKY承知で良い塩梅。江口のりこの抜群の質感、深川麻衣の髪型変えた瞬間の人間性のキレ味、そして何より若葉竜也が見事に投影した、仲原という男の我々性。

どこから切り取っても歪な愛情モノのように見えながら、それを見捨てられず「彼らのその後を真剣に憂えるに値するキャラ萌え性≒リアリティ性」が内在されているのも面白い。冒頭カットからの敗北濃厚感は「リトル・ミスサンシャイン」を思い出したし、同監督の「ルビー・スパークス」の相手に自分自身を投影・確認したい質感にも似ている。むしろこの見捨てられない様は、マーティン・スコセッシ監督の「タクシー・ドライバー」のトラヴィスでは?内なるトラヴィス案件では?と思ってしまう。

「愛って何だ?」

結局はそういう帰着点が用意されるわけだが、「彼女がその名を知らない鳥たち」のような人間の狂気な部分も内包し、好きな人に成りたいという投影的な欲望こそが執着の原動力として、彼氏×彼女の基本構図を逸脱したとしても精神世界において事象および接点継続されていることへの人間的戦略性まで持ち込む一筋縄ではいかないヒロインが圧巻。我々は仲原くんのような「アクセサリーな男」ポジションでも満足してしまうのではないか?それ以上のサイコっ気に身震いする正面カットで動かないが長回しでフェイズを進展させようと画策する終盤のシーンから、中々訪れないラストカットのもったいぶり、そしてラストカットの「最後には私が笑う!」的なキレ味にGIMME YOUR LOVE...いやはや、それって愛なの?「ミザリー」なの?

「愛がなんだ」…

嗚呼、もしや「愛」は自己満足の最終形態?
一般論的「愛」に対しての逆ギレ?
底しえぬ好みのストライクゾーン。