ヨーク

ROMA/ローマのヨークのレビュー・感想・評価

ROMA/ローマ(2018年製作の映画)
4.4
こりゃあいいものを観た。
まさに眼福といった映画。『天国の口、終りの楽園。』以来アルフォンソ・キュアロンのファンでNetflixにも入会しているがもしかしてアカデミー賞絡みで劇場公開されるかもと思いずっと観ずにいた。観るのを我慢していた俺を褒めるのと共にイオンシネマありがとう。イオンシネマ東武練馬は初めてでしたが素晴らしい劇場でした。
さて映画はというと冒頭の床掃除のシーンでもうなんか妙な満足感がある。排水溝に流れていく水、その水面に反射して映る空と飛行機。美しい。
あまり他人の感想とかは見ないのだがこの映画はきっと大多数の人にまず映像美を語られるだろうな、と思う。個人的にデジタル機材を使ってわざわざモノクロの映像を撮るというのはなんか感傷的すぎてあんまり好きくないのだが、モノクロだからなお際立つこれほど美しい光の表現を見せつけられては文句など言いようもない。光の美しさは『天国の口、終わりの楽園。』の時点ですでに素晴らしかったが。カメラの動きも非常に地味で基本的にはゆっくりとスライドするか、止まっているか、の2種類だったように思う。さらに付け加えるとストーリーとしての起伏も後半のある部分に差し掛かるまでは殆どないのでぶっちゃけ退屈な映画だと言われてもおかしくはないだろう。
均整のとれた美しい映像がただ流れていくだけという展開が続き、カメラは決して登場人物たちの感情を掬い上げたりはせず淡々とそこにあるものだけを長回しで映していく。めちゃくちゃ俺好みだ。
物語の主線としては割と金持ちの家で働く住み込み家政婦のクレオの日常で、映像がそうであるように物語自体にも終盤まであまりドラマチックなものはない。美しい映像でひたすら見せつけられる日常、というと高畑勲監督の『となりの山田くん』を思い起こすが『ROMA』を観ている俺はとてつもなく懐かしさを感じていた。『となりの山田くん』にも近しいある種の憧憬だ。俺は基本的にこれから観る映画の下調べとかはしない人間なので『ROMA』の舞台がどこなのかも時代がいつなのかも理解せずに観ていたが何か懐かしかったのだ。具体的にいうと中盤辺りで主人公のクレオが農村なのかスラムなのかちょっと分からないが都市部からは離れた場所へ行くシーンがある。そこは大変に水はけが悪く雨が降った後の水たまりとかがいつまでも残っていてその水たまりの上に薄い板切れがかけてあってその上を歩いて移動していたりするのだ。俺が子供の頃はアスファルトで舗装された大通りから一本裏に入るとそういう光景はよく見ていた。また、母親と祖母が子供には分からないような話を何やらしている、といったような微妙な距離感などが非常に懐かしいことのように感じられた。
多分だが作中の時代(1971年だと言っていたような気がするが)がいつなのかは関係なくこの映画は子供が大人たちを見上げるような視点で撮られているのではないだろうか。だから懐かしく感じられるのだ。だって誰だって昔は子供だったのだから。そして作中でその視線はすべてクレオに注がれているのだ。ラストに○○に捧げる(名前は失念した)と字幕で出たがきっとその相手は監督にとっての乳母兼家政婦のような存在でクレオのモデルなのだろう。
最後の最後にネタばらしがきてそうだったのか…と思うがこれはクレオに捧げるための映画でアルフォンソ・キュアロンの自伝的ホームビデオだったのだな。めちゃくちゃに私的な作品なわけだ。それが俺にも響くってことはある程度の普遍性は獲得しているんだろうけど、ていうかまぁ愛のお話だもんな、普遍的だよな。
女性に向けられた視線は溝口映画を思わせもするし、もっと性的な要素を抽出すればペドロ・アルモドバル作品のようになったかもしれない。
あとこの映画は徹頭徹尾水の物語でもあったように思う。清濁を併せながら合流したり離れたりして流れ続ける大河の水の如き奔流の物語。排水溝に流れていく水はスラム街に溜まった後やがて海の大波となって押し寄せてくるのだな。そして海は万国共通で母なるもののモチーフだ。
大河叙事詩のような映画でモノクロの映像なのにラストの空の青さはありありと分かる。
素晴らしい映画でした。
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