マティス

METライブビューイング2018-19 ヴェルディ「椿姫」のマティスのネタバレレビュー・内容・結末

4.5

このレビューはネタバレを含みます

新しい演出に感動


 映画館でオペラを観たのは初めてだけども、想像していたよりもずっと良かった。何より俳優の繊細な表情による表現が分かるのが良い。劇場での臨場感もそれはもちろん捨てがたいが、私が普段座るような席では、いかんせん俳優の細かい表情までは読み取れない。

 いつもとは違って、「椿姫」は小説を読んだのが先で、それから映画、オペラの順番だった。映画はグレタ・ガルボが主演した作品。オペラはアンジェラ・ゲオルギューがプリマドンナの収録。この二つはDVDで持っている。オペラは違うプリマドンナの作品も観たが、やっぱりゲオルギューが一番印象に残っている。CDでマリア・カラスや他の歌手のもあるが、どのプリマドンナの歌が上手いかどうかは私には分からない。でも何といってもゲオルギューのあの容姿は、マルグリット(=ヴィオレッタ)はかくありなんという感じなのだ。とにかく私は「椿姫」が好きなんです。


 小説と映画・オペラは導入部分とエンディングに大きな違いがあるけど、それぞれに良さがある。でも私は、小説の流れがよりしっくりくるなぁ、そう思ってきた。

 そしてこのMETのオペラだが、オープニングに新たな演出があって、驚きとともにちょっと感動した。
 オペラのオープニングは、いつもならあの有名な前奏曲を聴きながら、緞帳が上がっていくのをワクワクしながら待つのだが、このオペラは違った。
 舞台の上には亡くなったヴィオレッタを囲んで、アルフレッドらが悲嘆にくれて佇んでいる。そこにあの前奏曲が流れる。

 一般的には、ヴェルディがそう作ったのだが、緞帳が上がってヴィオレッタが主催するパーティーの場面から始まる。
 前奏曲が流れるわずか数分間を、METがこのように演出したことで、その後の3幕はヴィオレッタを巡る回想シーンになってくる。この演出は、オペラに仕立てるならこうなるのは仕方がないな、と諦めていた原作本来の流れに近い。

 原作は、物語の語り手の近所で行われた有名な高級娼婦の遺品の競売会から始まる。そこで手に入れた蔵書に記してあった献辞に興味を覚えた彼が、その本の持ち主である高級娼婦(マルグリッド=オペラではヴィオレッタ)と献辞を捧げた男(アルマン=オペラではアルフレッド)の純愛の軌跡を追っていくというストーリーだ。つまり死の事実から始まり、読者は語り手とともに二人の純愛の物語を訪ねていくというのが原作。それにこのMETのオペラは通じている。

 ほんの数分の、それもセリフも歌もない演出だが、上手いなぁと感心した。つまり、一般的な3幕ではなく、実質的には4幕構成になっている。オペラは詳しくないので知らないのだが、前奏曲に今まではなかった舞台のシーンを被せるのは、よく行われる演出なのだろうか?コロンブスの卵のようなことだが、案出した演出家はすごいと思う。

 この「椿姫」の演出はマイケル・メイヤーが手掛けている。もちろん私は知らない人だが、トニー賞も獲っていて、映画を撮ったこともあるらしい。どんな作品だったか俄然興味が湧く。

 しかし流石にエンディングは原作を踏襲していない。していないというよりも出来ない。踏襲するには、新たに作曲しなければならないから。

 オペラのエンディングは、死を迎えるヴィオレッタはようやく会うことができたアルフレッドの腕の中で息絶える。
 原作では、あんなに待ち焦がれたのに、マルグリットはアルマンに会えないまま息絶える。そこで冒頭の蔵書だ。本は「マノン・レスコー」で、主人公マノン・レスコーは最強のファムファタール。そのレスコーでさえ、逃避行の末、最期は恋人の腕の中で息絶えたのに・・・。純愛を貫いたマルグリットが何でこんな悲劇的な最期を迎えるの・・・。献辞には、「マルグリットにマノンを 敬服しつつ」と書いたじゃない、と、私のような単純な読者が悲憤慷慨し、なおさらマルグリッドの悲恋に心を震わせる。


 何か演出のことばかり触れたが、このMETのプリマドンナ、ディアナ・ダムラウは良かった。歌も演技も表現力があった。この人がプリマドンナだったら、他の作品も観てみたい。

 こうしてオペラを観ると、オペラの可能性をあらためて感じる。つまり演出家によって、伝わる感動が変わってくるということ。映画でいうとリメイクになるけど、オペラほど行われるわけではない。そう考えると、ミュージカルも歌舞伎もジャズもクラシックもみんなそうだ。映画はある意味特殊だ。



 この物語は純愛を描いたものだ、それも自己犠牲の。
 原作はベストセラーになり、まず戯曲が作られ、オペラにもなり、映画化もされた。小説も読み継がれてきた。
 でも、これだけ、「自分が大事」、が強調される今の世の中では、どれだけ共感を得られるのだろうかと思う。皮肉を言えば、「自己犠牲ができる自分ってすごい」、そんなことになりかねない。でもここで描かれているのは、無償の愛。見返りを求めない愛こそ真実の愛だ、というようなことをゲーテが言っているが、そうなんだろうと思う。

 このオペラの「椿姫」がある映画のシーンで出てくる。
 「プリティウーマン」でリチャード・ギア演じるエドワードが、ジュリア・ロバーツ演じるヴィヴィアンをオペラに誘うが、そのオペラが「椿姫」。初めて観るオペラ、感動したジュリア・ロバーツがポロリとこぼす涙を見て、リチャード・ギアは彼女の純真さをあらためて知るというわけ。
 彼女は街のどこにでもいるような娼婦という設定だが、最後はハッピーエンド。白馬ならぬ白いリムジンでエドワードはヴィヴィアンを迎えに行くのだが、派手に流れていたのが「椿姫」の第1幕の曲です。渡した花束は赤いバラだったのですが、椿、それも白のだったら完璧だったのに・・・、と思った人は少なからずいると思う。
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