140字プロレス鶴見辰吾ジラ

玉城ティナは夢想するの140字プロレス鶴見辰吾ジラのレビュー・感想・評価

玉城ティナは夢想する(2017年製作の映画)
3.6
【ドール】  

玉城ティナ。
個人的には本作の玉城ティナがベストオブ玉城ティナな気がする。山戸結希監督の短編映画においてカットのラッシュに対して玉城ティナのひとり芝居。余白を埋めるようなポートレートで切り取る日常と非日常、この場合非日常は夢想する姿だろうか?

登場キャラがA子やB男と潔い記号化されているが、主人公が「もしも玉城ティナになれたなら…」と夢想している姿が陰鬱に煌びやかな日常のワンシーンと余白を埋めるポートレート、丸眼鏡の印象的な抑制と夢想する世界でそれを外したときの大胆性。

玉城ティナを映画内で見るといつも人形的な煌びやかな無機質を感じる。つまりはドール性。無機質な日常のA子が煌びやかな玉城ティナに憧れ、胸焦がれる様は、逆に言えば玉城ティナから見ればイカロスの翼を得てしまった玉城ティナの憂いと対になる感情を内包している。「大いなる力には大いなる責任が伴う。」ということを、宮沢賢治の「よだかの星」の如く、星になって燃え尽きる煌びやかな世界を渇望してしまう若さゆえのエネルギーを感じる。ただ多くの無機質な日常の憧れの集合体として玉城ティナのドール性を客観視しながら本人のひとり芝居という閉じた世界は、ドールのように多くの憧れを詰め込まれるか?それとも平凡な日常に埋没しながら夢を見るか?太陽に近づくイカロスのように求めるか、それとも求めないかというある種燃やされる覚悟のもと若さの熱を注ぐモーメントに帰着させるように思えるのが印象深い短編。短編でないと描けないモノであろう。これで2時間独りよがりな絵空事を語られたら反吐が出る。しかしながら心ある日常か?心をドールのように整った空白にする太陽になるか?は偶像崇拝のモチーフとして玉城ティナは完璧なキャスティングだろう。