平野レミゼラブル

地獄少女の平野レミゼラブルのネタバレレビュー・内容・結末

地獄少女(2019年製作の映画)
3.4

このレビューはネタバレを含みます

「いっぺん、死んでみる?」でお馴染みの人気テレビアニメシリーズが近年のホラー映画の名手・白石晃士監督によって実写化。アニメ(あとドラマ版)は大分前に観ていて記憶も曖昧だったので、1~4期のうち何本か垂れ流して予習してからの観賞。思いの外、薄味な部分もありましたけど原作の「純度」はかなり詰め込んだ良い実写化でしたヨ。

まずなんといっても地獄少女こと閻魔あいに玉城ティナを配役した時点で大勝利と言って良い。どこか浮世離れした美しさの容姿や、ちょっと不気味にも感じるような大きな瞳と言い雰囲気がバリバリにキマっている。閻魔あいにしては大きすぎないかとも思うが、全体の雰囲気で完全にカバーしているので実質プラス。そして何より声質を完全に能登麻美子に寄せていることに感動ですよ!!パンフでも能登さんへのインタビューがあったりで原作に対する万全のリスペクトを感じる。『惡の華』での仲村さんの完全再現と言い、玉城ティナは実写請負人としてのポテンシャルに溢れていると思う。これからも期待大ですよ。

三藁のキャスティングも玉城ティナ同様に全員ハマっており、骨女はナイスおっぱいだし、一目蓮は刀の付喪神のため原作では全く持っていないポン刀を常時装備する刀剣男子だったし、輪入道はただの麿赤兒だった。いや、麿赤兒の暴走によって輪入道が一番原作からかけ離れていたし、予算の都合か絵面の問題かで車輪形態もカットされてたんだけど彼が一番面白いんですよ!冒頭からパンフによると車輪の動きを表現したという奇怪な舞で笑わせてくれるし、ビジュアル系バンドのオーディションに合格している麿赤兒なんかはもう大爆笑だった。骨の姐さんや一目蓮は馴染むからいいですよ。でもバリバリのロックバンドのコーラスの中に着物ハゲの麿赤兒が混ざっている違和感は物凄い。笑ってはいけない企画だったら即刻ケツバットの末、地獄流しだった。勘弁してください…地獄には堕ちたくないです……

そういえば、三藁達が魔鬼のバンドに入った理由はちょっとよくわからなかったですね。あの時点では魔鬼の名前は地獄通信に書かれていなかったわけだから。あの時、別の誰かに既に魔鬼の名前が書かれていたとかなのだろうか。でも、名前を書かれなくても三藁が潜入調査することはあるし(『高い塔の女』とか)魔鬼の周囲で急に地獄流しが連発された+地獄少女を調べてる工藤も関わっているから調査に入ったとかだろうか。

そしてなんといっても工藤仁。彼は原作で言うところのはじめちゃんの役割を担っており、「復讐はよくない!」と主張する地獄少女へのアンチテーゼ。復讐を否定する理由が母親がかつて地獄流しを行って死ぬ瞬間まで地獄逝きを恐れていたのを見ていたからというのは自然だし、「死んだら永遠に地獄だぞ!永遠だぞ!!」と止めながら地獄流しの瞬間にカメラをカシャカシャさせる俗物っぷりも良い(ダチョウ倶楽部かよ)。JKに抱かせろと迫るコンプライアンスガン無視の冗談や拉致監禁盗聴も辞さない取材方法が不快にならないエッセンスになってるのは波岡一喜の絶妙なチンピラ演技の賜物だろう。地獄少女に見送られるという最期を迎えたけど、結局のところ良い奴ではあったので地獄に送られてはいないと信じたい。
ちなみにこの工藤、『コワすぎ!』という白石監督のホラーシリーズの主人公と同姓同名らしい。そちらでも拉致監禁取材といったチンピラ然とした行動の数々もしてるらしく、なんか白石監督による『地獄少女』の私物化っぽさがある。でも話によると地獄少女の工藤はこれでも大分マイルドらしく、本家工藤は誰に地獄流しにされてもおかしくないくらいの人間の屑らしいので俄然気になってきた。『コワすぎ!』も履修しないと……


ストーリーは「初めて出来た友達をビジュアルバンドのリーダーに洗脳された女子高生の地獄流し」を大軸に「顔を切り裂かれたアイドルの地獄流し」をサブエピソードとして絡めた構成。基本オムニバスな原作に倣ったような作りが巧く、オリジナルストーリーながら原作の雰囲気そのものだったのも嬉しい。特に後者のエピソードが犯人への地獄流しを経て復帰するという復讐の「正」を見せつけた後に、犯人の母親に流し返される復讐の連鎖という「負」を見せつけられる「これぞ地獄少女」な嫌だ味に溢れていて完成度が高い。一期初期の仕事人テイストと後期の復讐の虚しさの融合。アイドルの子が可哀想すぎるが例え地獄流しされなかったとしても、その後に待ってるのは魔鬼による洗脳と生贄の末路だった筈なのでやっぱり可哀想。地獄少女史上でもかなり上位の詰みっぷりじゃないか……
大軸のエピソードも女の子同士の友情を絡めて「守られる側の少女が守る側に変わる決意をして地獄流しをする」→「地獄逝きの恐怖に怯えてまた守られる側に戻る」という話の着地が見事でなかなか面白くはあるのだが、サブエピソードに比べるとやや弱い印象。というより、洗脳バンドの魔鬼のやり口が北九州の事件じみた生々しいものかと思ったら悪魔崇拝と絡めたもので現実離れしすぎていたのが拍子抜けだった。原作でも百合を前面に押し出した話(『乙女のアルバム』)や、西洋オカルティックとの対決を描いた話(『地獄少女対地獄少年』)もあるため、要素要素に違和感はないのだが、この二つを合わせるのは流石に食い合わせが悪すぎた印象。嫌~な感じの友達やDVを受けてる(やり返してる?)母親、オーディションで受かった友達への嫉妬など、より組み合わせやすい題材も転がってたためなんだか勿体無い。

地獄少女と三藁はこのストーリーの舞台装置に徹しており、彼らのトータルの出演時間は工藤仁にも劣る。僕はアニメだと彼らのキャラクターを掘り下げた2期が一番好きなんだけど、映画という媒体でそれをやると冗長になるのであくまで「現象」として描く姿勢は正解だと思う。アイドルを流す時に「私も貴女の歌をもっと聴いていたかった」と閻魔あいも地獄流しに縛られていることを最低限示す描写はあったしね。
そういえば三藁が藁人形になる、三途の川を渡すなどの設定・お約束もオミットされてたけど、そこもいちいち描写してたら冗長になるという判断からだと思うので特に気にならなかったかな。地獄逝きの紋章は描写してもいいんじゃないかとは思ったし、何回かはだけそうではだけない場面があってやきもきしたけど、まあそこもオミットしたところでどうとかいう部分でもないので問題ないでしょう。

ただ、お仕置きパートの物足りなさはそのまま本編の薄味気味な部分に直結するので残念ではあった。アニメ版だとどこかコミカル風味だからこそ不気味だったり、しっかりその人物の罪状に則した責めでじわじわいたぶるからこそザマミロ&スカッと爽やかな気分に繋がったりしていたのに、THEホラー演出&スパッと斬首といった塩梅のためイマイチカタルシスに欠ける。予算と尺の都合もあるんだろうけど、流す前までに溜めた怨み分を晴らすだけのモノはもっと見せて欲しかったかな。というか依頼者の女の子に地獄の苦しみを体験させる(アニメ初期の方だけやってたね、この体験コース)方がやたら凝っていたのは、やっぱり監督の性癖…なんですかね……?女の子のゲロは間違いなく性癖。わかる。