140字プロレス鶴見辰吾ジラ

ホットギミック ガールミーツボーイの140字プロレス鶴見辰吾ジラのレビュー・感想・評価

4.5
【初恋物語】

ヤバい…
ヤバいっすよ…
こりゃ一種の事件っすよ…

まずこの手の映画はふつうの映画監督がとったら毒にも薬にもならないような吐いては捨てられる恋愛映画の中で代替え性ありきで霞んでいくでしょう。しかしながら山戸結希が監督したことで生じた映画としての揺らぎの快感が抜群に発揮された恋愛映画として代替え性のないモノとして記憶に刻まれてしまった。

近い印象の映画は、ニコラス・ウィンディング・レフン監督の「ドライブ」。レフン監督の世界観で単純なカーアクションからキレ味のあるヒーロー映画に様変わりしたことが本作の山戸結希の手法にも感じられる。

度肝を抜かれるのはいくつもあり、この手の若者趣向の恋愛映画において、幼なじみ、俺様系、無機質ヒロイン、下品な下ネタ、奴隷になれ!といった品のないセリフが、素早いカット切りと画面分割、そしてドローン撮影であろう空撮からの移動、キャラの掛け合いと切り返しの早いリズムで一気に上品の階段を駆け上がり、アバンタイトルまでの駅のホームでの長回しの視点誘導や駅のアナウンスまで事象を切り取ってから電車到着→ドアが開く→不格好なキス→去りゆく電車→アバンタイトルの流れは格好良すぎる。心が揺らいだ、多いに揺らいだ。

まだまだある。「3つの初恋」の謳い文句をある種ダサい形で切り取られそうなところを三者三様のカットで同一時間軸に収める妊娠検査薬が宙を舞っていく顛末、港区の無機質なまでに聳え立つタワーマンションの歪さ、一旦トーンが落ちてからの各男性キャラのターン別攻撃。キャスター付きイスの前後+駆け引きからフレームイン・アウトの構図、煌びやかにキス、それを隠すカーテン。実はイヴにリンゴを食べさせようとするサタン適切な描写やそれを守るナイトの役割、逆襲を努める暴君…切りがないほど濃密な時間をカットのスピード感で感情に直にコネクトしてくるのが堪らない。サブリミナル的なカットもすぐ後に映像的に意味を成すシャボン玉だったり、意味のないモノは極力廃してスマートに取り付く伏線だったり、そして何より劇判の使いっぷり。「きらきら星」に始まり・終わる反復関係と、「カノン」と「エリーゼのために」のターン性の攻撃。「エリーゼのために」はベートーベンの悪筆による誤読と癖字についてのメッセージだったのか?そして「カノン」は三様の初恋の接点が良い方向に動くときの合図であったり計算されたモノだったのか?雄弁ではない荒削りなキャスティングは感情で、カットや画面映え構図、そして劇判が雄弁に語る芸術的な上品さに溺れてしまう。

中盤の折り返しで明かされる事実についてのミステリアスさも含め、キリスト教的な予定調和→過去のしがらみ→運命的な恋と設定するのか?自由意志において過去に縛られず(サタンに誘惑されず)に自由意志を持っての選択をするか否かの恋愛模様や、ヒロインの適度な可愛さと地味さが醸し出す器性や空白性が、3人の男関係を陣取り合戦のように動かしたり、また自由意志恋愛の考えのブースターになったりと常にカットと同じく落ち着かないシーンの連続でダレ場を感じにくい推進力にもなっている。3人の男キャラがクリストファー・ノーランの「ダンケルク」的な時間軸交差といっては過言だと思うが、それぞれのターン攻撃から会話や構図に割り込む文法的なリストラクチャリングも見物だった。脇役も意味をなしていて、マネージャーのメガネ姿の危うさや妹の葛藤(解放カラオケシーン?)、反町隆史の画面映えの一撃必殺性やドレスコーズ志磨遼平の「溺れるナイフ」に続いての男性的妖艶さも目を見張る。

とにかく書き連ねても埋められない“揺らぎ“の快楽を存分に内包した本作「ホットギミック」は評判通りの刺激。「ファーストマン」→「ミスターガラス」→「ホットギミック」と「エンドゲーム」を押しのけ今年私的映画ランキング暫定3位に割り込んできた。恐らく邦画1位は譲らぬままフィニッシュであろう。
歪さ、危うさ、純粋さをシェイクしたカクテル🍸のような映像体験だった。