朱音

暗数殺人の朱音のネタバレレビュー・内容・結末

暗数殺人(2018年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

この映画の邦題となった『暗数殺人』

暗数(あんすう、英:Dark Number)とは、実際の数値と統計結果との誤差で、なんらかの原因により統計に現れなかった数字の事で、主に犯罪統計において、警察などの公的機関が認知している犯罪の件数と実際に起きている件数との差を指す。


本作は、2007年に韓国の釜山で起きた事件を元ネタに制作された映画だが、2012年に韓国・SBSで放送されたドキュメンタリー番組『それが知りたい』の中で取り上げられた実際の事件がモチーフとなっている。
本作の上映に関して、事件の被害者遺族が裁判所に上映禁止仮処分申請を提出し、制作会社側が謝罪するという事態が起きている他、逆に、事件の被害者の息子とされる人物が「上映に関して賛成である」という内容の文章をSNSで公開し、こちらも話題になったようだ。

このように、本作に描かれている内容は、現在も韓国に大きな影を落としている事件である。


本作の主軸は「自分は7人殺した」と自白したはずのテオが、巧みに自供を変え、ヒョンミンを翻弄し、「実際は何人殺したのか」を明らかに出来るか、という部分になる。
殺人犯のテオと、刑事ヒョンミンの攻防戦が物語の中心で、テオは7人の殺害に関与した事を認めているわけだから、すぐに終わりそうな話ではあるのだが、問題は一筋縄ではいかないテオのキャラクターによる。
最初はヒョンミンを頼るように協力的な態度を見せていたテオだが、徐々に態度が大きくなり、最後には文字通りヒョンミンを手玉に取り、コケにするような尊大なものに豹変してゆく。
また性格も非常に情緒不安定で、その証言は一切信用が出来ない。このため警察内ではテオには関わらない事が吉となる気運を招いている。そこに食らいつくのがヒョンミンの信念と執念だ。

このテオを演じたチュ・ジフンの演技力や存在感が凄まじく、本当に何を考えているのか分からない男を不気味に演じており、チュ・ジフンは本作で、春史大賞映画祭や黄金撮影賞などで主演男優賞を獲得している。

韓国映画だと、テオのような狡猾な犯罪者に対抗するのは、切れ者であったり、暴力的な刑事であったりする印象が強いが、本作の刑事ヒョンミンは、そのどちらのタイプでもないのが特徴的だ。
環境的に金に困っておらず、また出世欲もない。かといってダメ刑事という訳ではなく、生真面目に、地道な捜査が好きで警察をやっているが、それ以外はごく普通の人物だ。物語の中盤まではテオの自供に頼りっぱなしという、少しばかり情けない印象さえ受けるキャラクターとなっている。

主人公の刑事が、知能犯の掌の上で転がされ続けるという、鑑賞していてストレスが溜まる展開が続く。
ヒョンミンは、韓国映画に登場する主役の刑事としては、かなり異質なキャラクターだが、主演のキム・ユンソクは、実際の刑事とも会っているので、リアリティを追求した結果かもしれない。

ただ、ヒョンミン側にも隠れた問題提供はある。
そもそも劇中で問題になったように「刑事が受刑者に自腹で金を払って情報を得る」のだってアウトだろう。教師とか医者にも言えることだが、結局は「職業」なのだから、こんな個人の活躍を美談にして「大変だった」で終わりにするのではなくて、組織的な改善点を考えるべきでは、というものを感じさせずにはいられない。


凶悪な知能犯であるテオに、韓国警察は関わろうとしない為、ヒョンミンは孤独な捜査に挑む事となる。前述したように、ヒョンミンは突出した能力の無い、普通の刑事の為、その捜査は足を使った地道そのものだ。
事件の目撃者から聞き込みを行い、現場を捜索して証拠品を探し、科捜研で指紋とDNAを鑑定、さらに現場検証で確証を得ようとする、本当に地道で地味な捜査を展開するが、警察をテーマにした映画の、リアルな面白さが詰まっている。
また2007年に起きた事件を扱っている割に、実際の捜査方がアナログ一辺倒なのは、多少ノイズとして気になるポイントだが、それが物語の面白さに一役かっているように私には感じられた。
これは昔の刑事ドラマの定番でありながら、そこにサイコパスな犯人という現代的な要素が加わっているため古臭くは見えない。

実際の事件をモチーフにしていることもあって、都合よく証拠が見つかったり全ての犯行が明らかになるわけではないのがリアルだ。


地道に真実を手繰り寄せるヒョンミンの姿は、秀でた能力が無い、普通の人だからこそ共感できる部分があり、ヒョンミンの努力を一瞬で打ち砕く、テオの狡猾さが、憎たらしい程に際立っている。


実際の殺人事件を、緻密な脚本で描いた本作は、かなり重厚なサスペンスだ。
見どころは、テオとヒョンミンの攻防戦ではあるのだが、実はラストで、ヒョンミンは全く、テオを相手にしていなかった事が分かる構成となっている。
ヒョンミンの目的は、テオに殺害されたにも関わらず、届け出さえ出されていない犠牲者の弔いであり、テオを2度と刑務所から出さないような、重い処罰が課される事だった。

ラストにヒョンミンがその事を突きつけ、テオの表情が一気に変わる場面は、テオの自尊心が一瞬で砕かれる、名場面となっている。

今も認知されていない、殺人事件の犠牲者への想いが『暗数殺人』というタイトルに反映されているのだろう。

韓国の他のサスペンスものと比べると地味な印象だが、事件のスケール以上の面白さがあった。トリッキーなキャラクターを用いながらも、実に堅実で骨太な警察映画である。
朱音

朱音