140字プロレス鶴見辰吾ジラ

青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ないの140字プロレス鶴見辰吾ジラのレビュー・感想・評価

4.3
【ストレンジャーシングス】

原作およびアニメ未見という最後尾からのスタートとなりましたが、本作が謳う“思春期症候群“というまだ何者でもない不安定で未熟な者たちの“精神性“を特殊能力という形で捉えてミニマル化された能力モノであることは面白いです。そしてこの精神性のエネルギーがもたらす「夢見る~」というタイトル自体の伏線を丁寧に何度も反復させ、テッド・チャンの「あなたの人生の物語」発展してドゥニ・ビルヌーヴの「メッセージ」へと寄り添わせ、何より「エンドゲーム」の如き時間往復を精神ダイブ手法によって繰り広げたことに驚きました。「夢見る~」の“夢“においての、「夢で逢えたら」的なロマンチシズムは、クリストファーノーランの「インセプション」式に作用し、先の「メッセージ」型のルール、言わば“夢みるによるサピアウォーフの仮説“のような戦略立てを与え、ラストミニッツレスキューを2段階式に魅せるクライマックスは最高です。テリー・ギリアムの「12モンキーズ」の肌触りも少ししましたかね。そして何より提示させるマイケル・サンデルの「これから正義の話をしよう」でお馴染みのトロッコ問題も繰り出します。ここらへんの質感は「インフィニティウォー」でドクターストレンジがサノスにタイムストーンを差し出す質感に似ていますね。描写的、演出的な薄さが映像的にヒントを見せすぎたかと思いましたが、先のラストミニッツレスキューにおいてが、博打打ち的に「ネズミがボタンを押したからマシーンが起動した。」という途方もない確率ではなく、“夢みる“という行為におけるダイブ性と過去と既来における「メッセージ」式ルール学習をトッピングして、何より「インセプション」型に則った上で、“映画の力“を劇中内でメタ的に用いて確率上昇させたことに感激です。これはTVアニメ放送スタイルでない劇中版スタイルであったからこそ意味がありました。「エンドゲーム」的な物理的にマルチバースに逃げるのではなく、思春期症候群という精神的な変化による不安定さ(「エクソシストにも通ずるよね」)を「夢見る~」というロマンチシズムに乗せてミクロ的なささやかな救出劇に落とし込んだのは良い意味での想定外でした。キャラの愛着というブーストがないがゆえに、解釈が間違っているか?フラットであるか?些か自身がないですが、アニメ劇場版商法でなくしっかり映画としての機能も兼ね備えた隠れた傑作だったと思います。