ヨーク

残された者-北の極地-のヨークのレビュー・感想・評価

残された者-北の極地-(2018年製作の映画)
3.8
できれば夏に観たかった『残された者』だがこれから到来する冬を思いながら観るのも悪くはなかったです。しかし俺は夏よりも断然冬派なんですがそれでも舞台となった北極近辺とかでは絶対に生きていけないなと思った。何を当たり前のことをと思われるかもしれないが、この映画の面白さは北極でも何とか生きていけそうな気がするところから始まるのだ。
物語としては実にシンプルで、毎年1本くらいは公開されているような大自然でのサバイバルもの。雪山とか砂漠とか無人島とかジャングルとかシチュエーションは色々あるとは思うけど本作は北極。具体的に北極圏のどの地点かは分からないが過酷な環境なのは間違いない。あとこれはよく勘違いされてそうだけれど本作の舞台はエベレストのような標高の高い場所ではないと思う。北極圏にも3000メートル級の山はあるが本作はそこまで厳しい環境ではないはず。とはいえ北極圏なので過酷なのは間違いないのだけれど。
なんにせよ極地でのお話なんですが、面白いのは映画が始まるとマッツはすでに遭難済みで、ある種のローテーション化された遭難生活がまず観客の前に見せられるのである。おそらく遭難から1週間以上は経っているであろう。マッツの一日はまず腕時計のアラームで目覚めて地面にSOSの文字を掘る、その後は罠にかかった魚を獲って冷凍保存する。またアラームが鳴るとお昼の合図で保存されている古い魚から食べる。またアラームが鳴ると手動の手回し救難信号機を回して救助を待つ。たまに遠めにシロクマを発見してちょっとヤバイなと思うことはあってもそのように過酷な環境の中で奇妙なほど安定した生活が送られているのである。
通常サバイバルものの映画などでは冒頭で遭難するところから始まり主人公は元の日常に戻るために過酷な環境を生き抜くのだが本作はすでに遭難済みなのだ。そこが面白い。映画の始まりにマッツが家族に行ってきますのキスでもして「来週はこの子の誕生日だから無事に帰ってきてね」なんていうやりとりがあれば観客としても頑張って生き延びて家族の元へ帰れよ! と思えるのだがそんなシーンは全くないのである。酷い環境だが今日明日に死んでしまいそうなほど切迫しているわけではない状況で、マッツが実際に生活しているという描写もあって最初に書いた、何とか生きていけそうな感じがするのだ。氷上での籠城生活とも言えるその奇妙な安定感が面白い。
遭難したときのセオリーとしてはその場を動かずに救助を待つというものがあるがマッツもそのつもりだったのだろう。そして実際に一通りマッツの遭難生活を描いた後に救助のヘリがやって来るのだがそのヘリは荒天の中無理して着陸しようとしたため墜落してしまう。マッツ絶望。パイロットは即死でもう一人の搭乗員である女性も意識が混濁するような重体。懸命に看病するが女性の容体は悪くなるばかり。そこでマッツは予告編にもあるように人がいる場所への決死行を行うことを決意するのである。
ここですよね、この映画の面白ポイントは。マッツがただ生き延びるだけなら女性を見捨てて引き続き籠城を続けた方がいいと思うんですよ。もしかしたら数日後にまた救助のヘリがやってくるかもしれないし。でもマッツは女性を見捨てることができない。それは一人ではなく二人になったから。他者が目の前に現れたことによって否応なしに世界が広がってしまったんだと思うんですよね。ずっと独りならそこが最悪な環境でもそういうものだと諦めてダラダラと生きていっただろう。だがそこに自力では立ち直れない傷を負った誰かが迷い込んで来たら、どうしよう。死ぬかもしれないけどこの氷上の安定を捨てて彼女を救えるかもしれない旅に出ようか、と。そして他者を救けるということが結果的に自分をも救ける。一人では生まれ得ない社会性とか倫理感とかが他人がいることによって発生してそれが自分自身の思考や行動にもフィードバックされるという、そういう映画ですよね。でもそういうことはセリフなどには全く出さずに全て抑制のきいた演出の中に納まってるのがとてもいいです。
あと本作はほぼマッツの独擅場で一人舞台なのでその辺の演技も面白いですね。基本的に殆どセリフもないので、表情や仕草だけで見せる喜びのマッツに悲しみのマッツに苦悩のマッツに絶望のマッツと様々なマッツが楽しめます。しかしマッツ・ミケルセンという役者は『ローグ・ワン』と『ドクター・ストレンジ』くらいしか知らなくて渋い脇役くらいのイメージだったのだが入場者特典でマッツのポストカードをもらってびっくりしましたよ。何かそれってアイドル的な売り方じゃない? そういう方向の役者なの? と。
必要以上に語らないラストシーンも格好良かった。面白かったです。
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