ゆーあ

影裏のゆーあのネタバレレビュー・内容・結末

影裏(2020年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます


あまりにも切なくて、劇場を出たあともどんどん涙があふれてくるのを止められなかった。

ジャンルは「ヒューマンミステリー」とのことだけど、純度100%のラブストーリーだと断言します。柔らかな光に包まれた甘露が滴るような瑞々しい夏の朝と、闇に飲まれ溺れるような冬の夜。遡上できない過去の細い糸を、それでも手放せない現在の哀しみを象徴するような光の使い方が印象的でした。日浅に対する叶わない恋情を募らせる今野の物語は、後半から一転、犯罪行為をも含む日浅の闇にフォーカスします。ここで観客も、岩手の四季風景とともに移りゆく切ない恋愛詩に浸る心地から、急に不穏なミステリーに引きずり込まれます。日浅は何故、何も言わず会社辞めたのか?学歴詐称に加担し、それをネタに日浅の父親を強請った犯人は誰なのか?空白の4年間、日浅はどこで何をしていたのか?彼は今、どうしているのか…線香の僅かな火が瞬く間に延焼し山火事を起こすように、疑念はどんどん広がります。ここでそれを一つ一つ明らかにしていったら、この映画はジャンル: ミステリーになったと思うのですが、それをせず、最後まで「今野の中の日浅」を描くことに徹したからこそ、前半で抱いた日浅への恋情と胸をチリつかせるたっぷりの切なさを心に抱いたまま、観客は劇場を出ることができるのです。東日本大震災という未曽有の出来事が変えた何もかもより、あなたが付いた嘘の理由と真相より、その善悪よりもただ、ただたまらなく好きだったあなたが何者なのかを知りたかった。この極めてパーソナルな願望を叙情的に描く作風は、ベン・ウィショー主演のドラマ『ロンドン・スパイ』に似ていると感じました。

作中でもっとも印象に残った場面は、焚火の前で日浅が背を向けた隙に、今野が涙をぬぐうところです。何も言わず姿を消し、次に現れたときには髪型が変わり、「すっかり抜けた」と言っていた方言が強くなった日浅に、自分が彼を何も知らないこと、その知らない部分を自分でない誰かが知っているかもしれないこと、だからといって知りたくないし聞きたくないという感情が心をぐちゃぐちゃに踏みにじる苦しさが伝わり、とても辛かったです。勝手に気合いを入れて準備してきた自分と彼との温度差も、強く引き止めてはもらえないと分かっているのに自ら彼との時間を断ち切ろうとする行為への自己嫌悪も、あのガラ掛けのシーンは今野の全てに感情移入してしまい、嗚咽が止まりませんでした。

激しく盛り上がるシーンは一つもなく、終始穏やかでローテンションな映像で構成されているにも関わらず、針先の上でギリギリつりあっているような二人の関係性のバランスは、一瞬目を離しただけでも姿を変えてしまいそうで、釘付けになる魅力がありました。これはキャスティングの功績も大きく、飄々としながらもミステリアスな松田龍平と、繊細でアンニュイな雰囲気をもつ綾野剛が、各自の最も得意なフィールドで全力を出し合った成果だと思います。その二人が奏でる連弾に、わずかな出番で引けを取らない存在感を残しているのが中村倫也!!見上げた顔を見てもさっぱり、声を聴くまで男性であることすら分からなかった!彼はとても素敵な女性の役で、今野と彼にシンクロして傷ついた観客を優しくハグしてくれる癒しに少し救われました。

今野という個人と日浅という個人の関わりをどこまでも丁寧に描いた『影裏』。ガラスのように透明で脆く、心に突き刺さったままいつまでも辛いそれが、しかしいかに貴重であるかを真摯に語る優しさを持つ作品です。ラスト近く、契約書に書かれた直筆署名を見て、彼の残り香を感じ泣いてしまう今野の姿からは、幸福を感じました。
ゆーあ

ゆーあ