ゆーあ

⻤太郎誕生 ゲゲゲの謎のゆーあのネタバレレビュー・内容・結末

⻤太郎誕生 ゲゲゲの謎(2023年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

大傑作だった…!!

横溝正史の『犬神家の一族』を彷彿とさせる因習村の殺人ミステリー、胸熱くなるバディ関係、目を奪われる派手なアクション、一度で終わらない怒涛のクライマックス…を経て流れるエンドロールを観たとき、すべてがこのためにあったのだと、雷に撃たれたような衝撃を受けました。

■「原作のため」の映画
水木の、「何も思い出せない。それなのになんで、なんでこんなに悲しいんだ…」という言葉にギュッと心臓を掴まれたあと、エンドロールで流れる原作漫画の一幕。それはプロットもタッチも原作のままなのに、今や一つ一つのコマが膨大な意味と価値と、感情を含んでいる。観ているほうも堪らなく悲しいのに、同時にこれ以上ないほど救われたという気持ちが溢れてきて、幕が下りたあともしばらく立ち上がることができませんでした。

鑑賞1回目と2回目は、その感情の発露の仕方がわからなくて、3回目でようやく溺れるように泣くことができました。最寄りの映画館は客電が付くまでが長く、1分くらいあるのだけど、それがこんなにあっという間に感じたことは今までにありません。

ストーリーは完全にオリジナルなので、「原作に忠実」な映画ではありません。これは、水木しげるへの並々ならぬ敬意をもって、原作に新たな付加価値を与える「原作のため」の映画。こんな巧みなことができるのかと、絶技に驚き震えました。

そして素晴らしいのは、同時に紛れもなく第6期鬼太郎でもあるという点。歴代いちダウナーでさほど人間に興味があるわけでもない第6期鬼太郎が、なぜ人間を救うのか。その理由をはっきりと明言することはなく、しかし私たち観客に疑いようもなく深く理解させる。「こんな過去もあったかもね」というIfではなく、ダークな原作と勧善懲悪のヒーローアニメを、一切の矛盾なく繋げる絶対不可欠の作品でした。

■水木しげる作品と『ゲゲゲの謎』
水木しげるへの敬意という点で、『総員玉砕せよ!』の要素を絡めたのも妙技の巧。兵隊上がりで、自らの経験から己の信念のみを支えにがむしゃらに生きる水木のキャラクターに深みを与えると同時に、水木しげる大先生の半生を重ねることで、すべての作品の根底にある反戦の願いを作品にうまく落とし込んでいました。

細かいところだと、水木の「妖怪の話は昔、子守の婆さんから聞かされたが…」という台詞では『のんのんばあ』だ!と歓喜しました。

■ゲゲ郎と水木
その水木の渇いた焼け跡の心を解くゲゲ郎とのバディ関係は、バディもの好きには100兆点満点!!初めて島に上陸した際、水木のピンチに早速と現れその強さを披露するゲゲ郎の格好良さには、さすが鬼太郎の父だと痺れました。鬼太郎の前身のような技を使うのも、これが第6期鬼太郎の世界線だということを意識させられて嬉しかったです。リモコン下駄や霊毛ちゃんちゃんこ(組紐)、髪の毛針や体内電気など…。

そのあと、ゲゲ郎のピンチに駆けつける水木や、いよいよ本陣に乗り込む「行こうぜ」など、両者が同じくらい互いを守れる強さがあるコンビが好きな私にとって、2人は本当に理想的な関係でした。

こうした“急“の展開の中で、“緩“となる墓場でお酒を酌み交わすシーンなどももちろん大好きです。個人的には村内を歩きながら作戦会議をするシーンが一番のお気に入り。お地蔵さんを覗いたり、アイスを食べたり、ハンカチを川に浸して涼をとったり…ラフな2人の姿にほっこりすると同時に、醜い因習村である哭倉村にも、こうした心癒されるノスタルジックな風景があるのだということに、舞台の深みを感じました。

■ホラー描写と哭倉村の人たち
もともと6期はホラー描写に遠慮がなく、『幽霊電車』などはそのオチも含めて震えたものでしたが、映画ではPG12の名の下に、更に情け無用になっていて良かったです。序盤の血まみれの病院ベッドや医療器具、闇に向かって続く古びた鳥居の列など、まるでゲーム『SIREN』のようなTHE・ホラー描写に、「これは本気だぞ」とワクワクしました。

その中でも一番震えたのは、序盤の列車で咳をしていた女の子の成れの果ての姿を見たとき。隣のベッドで声にならぬ声をかけ続ける母親の姿は辛くて直視できませんでした。

その因習の全てを背負った沙代ですが、彼女の一番好きなシーンは、展望台のワンピース姿です。上等な着物が普段着の彼女が、憧れの都会の男性に会うために胸踊らせて選んだ一張羅なんだろうなと。そしてこれは完全に想像ですが、村にはおそらく洋服屋は無く、村外にも出たことのない彼女なので、あのワンピースはきっと克典社長のプレゼントなのではないかなと思いました。克典社長はあの村ではゲゲ郎&水木以外で唯一の"普通の人"ですが、常識の視界では「見えないものを見ようとし」なかったために、叶うはずもない野心を抱える姿が哀れで滑稽ですらありました。

ところで因習の実働部隊である裏鬼道について。鬼道衆で思い出すものといえば、第6期で重要な役割を果たした石動零。彼は裏鬼道とは関係ありませんが、この点でも第6期とのつながりを感じて心躍りました。

■おわりに
第6期の最終回は、鬼太郎に思い出を預けて記憶を失ったまなちゃんが、もう一度鬼太郎と出会うことで全てを思い出し、また親交を続けていくというエンディングでした。ゲゲ郎と水木の物語を観た今、それが世代を越えた大いなる救いであったことを実感して、また心が震えています。

最後、鬼太郎を抱えたときに水木の脳裏に過ぎったビジョンは、「なんだ…?今何か、大切な記憶に触れたような…」という演出だと思っていましたが、ネトフリ悪魔くんを観ると、あそこで全てを思い出していてもいいな、とも思います。

観れば観るほど、考えれば考えるほどに、寂しさと温かな救いが心に降り積もってゆく映画です。映画ファンとしても、水木しげるファンとしても、この作品を世に送り出してくれたことに心から感謝したいです。
ゆーあ

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