140字プロレス鶴見辰吾ジラ

アスの140字プロレス鶴見辰吾ジラのレビュー・感想・評価

アス(2019年製作の映画)
4.4
【希望の架け橋】
※下記に加筆しました。

ジョーダン・ピールの描く、緊張と恐怖の放物線は「希望への架け橋だ。」

我々は貧困問題を気にとめながら劇場で映画を鑑賞する娯楽に時間を消費する。1986年、東海岸から西海岸まで人々が手を繋ぐ「Hands Across America」。加わったのは10ドル払える連中だろう。アメリカ人だ名乗る影の集団。手にはハサミを持ち因縁を立ち上がるために深淵から出でる。貧困救済キャンペーンに募金する余裕や別荘を持つ余裕など当然ない。Wi-Fiという見えない技術で繋がれた我々にどこまでも物理で挑んでくる“us“。幼きジョーダン・ピールが目にした貧困層が我々の領域に踏み込んでくる恐怖は突如として襲い来る。「ファニーゲーム」よろしく弄ばれる恐怖は鏡の世界で反転した正義の戒めなのか?

タルコフスキーの「ストーカー」、ジョン・カーペンターの「遊星からの物体X」の如き異界の者に目を向けるのではなく、我々が日常で見落としている存在が猿マネして日常に紛れ込むスリリングと、壁を突破して日の当たる世界に出てくる希望的可能性としてニヤリと笑う。

生命は如何にして生まれて、どこへ行くのか?AIがシンギュラリティで侵攻するなんてご冗談を?アレクサにそんな芸当できるか?ディストピア小説のようにヴィジュアル化された地下の人々よりもよっぽと信念と狂気をもって、俺たちの住む安寧なる日常を切り裂いてズタズタになればまた違う世界が広がるんだろう。


追記)
本作が描いたのは“怖さ“以上に“キモさ“だと思う。我々が根源的に恐れている、もしくは恐れることも見落としているのは、闇から出でる異形の浸食よりも地続きなところから侵攻されることじゃないだろうか?「ガタカ」や「スラムドッグ$ミリオネア」みたいな精神的正義や欺瞞を携えたモノも、日常で見落とされ、満場一致で“キモい“と蔑まれる者の前では「感動ポルノ」にすぎないのではないか?もっと根源的にもっと生理的に“キモい“を引き出してくるからこその恐怖映画なのだと思うし、だからこそもっと根源的に廃される運命の者が壁を越えることに希望性が見いだされるのだと思う。紛れもなく傑作で精神の臓物に刃物を突き立てる生理的ホラーだ。