干ばつ、飢餓、貧困にさらされたアフリカ・マラウィの村を少年が廃材から風力発電機を作ることによって救った実話を基にした映画。
もちろん、感動的。だから現実との違いも知りたくて、原作を読んでみたら、特に家族の関係は色々とエンタメ化されていることがわかった。また、原作には魔術との関りなど、興味深いエピソードがたくさんあるし、飢餓や貧困の描写も映画より相当深刻で厳しい。
だから原作を読んでいるうちに、日本で本作に文部科学省はじめ、教育関係機関がこぞって推薦を出していることに違和感が生まれてきた。配給側が劇場公開や全国上映を有利に展開するために権威づけを求めたのか、それとも、何か援助団体のプッシュがあったのか。
教育や知識が困難を越える力を与えてくれる、というメッセージはもちろん間違っていない。ただ、この少年の風力発電機の成功は、本だけによるものではない。むしろごみの山から使える材料を探し出したり、少ない食料を確保するためにうまく人の流れに潜り込んだりといった、常に命の危険にさらされる日々の実体験の中から得た生きるための知恵に拠るところが大きいと思う。
少年があくまで(当初は)自助努力で目標を達成した、ということを忘れてはいけない。
彼を称賛するのであれば、同時に、当時の現地政府の失政、また、援助の手を十分に差し伸べられ無かった国際社会、傍観していた各国、そして何も知らなかった自分たちの責任も追及されるべきなのだ。推薦を出している日本の政府機関には果たしてその自覚があるのだろうか。この映画を推奨することで、何か、善行を施しているかのように勘違いしていないか。
本当はもっと悲惨だった事実が、映画化されることで何かきれいごとに浄化されてしまっているように感じたし、マラウィの貧困が解決されたかのような誤解を与えかねないことも憂う。
主人公のモデルとなった男性が、現在、国際的に活躍していることは素晴らしいし、偉そうなことを言っても、せいぜい寄付ぐらいしかできない自分にはまったく足元にも及ばない人物なので、そこはひたすらに畏敬の念しかない。
願わくば、国内外の様々な思惑に踊らされて腐敗した政治に取り込まれることなく、純粋な研究者、活動家であり続けて欲しい。権力の誘惑に負けて、いつか、大統領の座とか狙わないでね。