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フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊のタケオのレビュー・感想・評価

4.2
-美しく尊い「今、この瞬間」への情景『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』(21年)-
 
 ウェス・アンダーソンの映画がいつもビターな後味を残すのは、いずれの作品にも「全てのものには必ず終わりがある」というテーマが貫かれているからだ。『天才マックスの世界』(98年)でのマックスの片思いにも、『ムーンライズ・キングダム』(12年)での子供時代にも、『グランド・ブダペスト・ホテル』(14年)での主人公2人の友情にも、やがて「終わり」の時が訪れる。美しく尊い「今、この瞬間」が永遠に続くことはないのだ。
 しかしその一方で「映画」というメディアには、時間そのものを自由自在に操ることで「今、この瞬間」を延々と引き伸ばすことができるという特異な性質があり、多くの映画監督がその可能性を追及してきた。かつてデイヴィッド・リンチが『ロスト・ハイウェイ』(97年)で、爆発した小屋をフィルムの逆回転で元の姿に戻したのもその一例だといえるだろう。全てのものには必ず終わりがある。美しく尊い「今、この瞬間」もいつかは過去となり、やがて多くの人々の記憶からも忘れ去られてしまうのかもしれない。しかし、少なくとも「映画」・・・もとい「フィクション」の世界の中でなら、美しく尊い「今、この瞬間」にも永遠の命を宿すことが可能なのではないだろうか?そんな「フィクション」という名のマジックに、ウェス・アンダーソンは魅入られている。ウェス・アンダーソンの映画はあまりにも周到に作り込まれているがゆえに、常に観客にその「世界」が「フィクション」であることを強く意識させるが、それはウェス・アンダーソンがリアルな「世界」を「フィクション」で上書きしようとしているからだろう。
 いつかは失われてしまう美しく尊い「今、この瞬間」に耽溺していたい。本作『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』(21年)は、そんなウェス・アンダーソンの切実な願いを「雑誌」という媒体を用いてメタ的に描き出した作品である。ちっぽけな人間のささやかな営みに「物語」が宿る時、「リアル」と「フィクション」が交わる地平で「映画」はギラギラとした輝きを放ち出す。ウェス・アンダーソンは「フィクション」を信仰しているのだ。
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