平野レミゼラブル

名もなき生涯の平野レミゼラブルのレビュー・感想・評価

名もなき生涯(2019年製作の映画)
3.9
最期まで自らの信念と信仰に基づき、ナチスからの徴兵を拒否し処刑された実在の農夫フランツ・ヤゲルシタッターの生涯を描いた3時間にも及ぶ大作。
「重い・辛い・長い」の三拍子揃っており、実にハードだったがその分ズシンと胸に来る名もなき生涯そのものの重み。流石に時間を忘れるほどってことはないが(思わず時計を3回くらい確認した)その長さ故の積み重ねが重厚さをもたらしています。

かなり寡黙な作品でもあり、セリフは必要最低限しかないということも余計にお話の長さを感じさせる要因だろう。字幕すら必要最低限で、徴兵を拒否するフランツを迫害しだす村の人々やナチスドイツでの拷問シーンなどは敢えて訳さないが故の「ナチスの侵攻で村人がもう話も通じない人に変わってしまった」「何を言ってるかはわからないが恐ろしいことをされるのはわかる」といった深みをもたらす。『暁に祈れ』にも通じるあえての訳さなさですね。
家族愛は本作のテーマの一つではあるけど、そちらもあまりセリフがなく、娘なんて3人いるのに彼女たちが声を出す場面の記憶がない。何かを話しているようなシーンはあるのだが、独白を被せてあったり、やっぱり訳されてないのでただずっと一家族の営みを遠景から見ているような感覚だ。カメラワーク、編集も独特で短時間のカットジャンプを多用しているため、定点なのに場面が飛び飛びというような状況にもよくなるが、これすらもなんでもない家族の日常を写真みたいに切り取って繋げたような印象を受ける。戦時中のオーストリアの雄大な自然を臨みながら、市井の人の生活を切り貼りする。これもまた一つの『この世界の片隅に』の系譜だろう。

愛する家族がいるにも関わらず、その平穏な暮らしをも諦め、信念に殉じて自ら死を選んだフランツの生涯というのは中々理解しづらいものがある。彼の宗派からキリスト教的引用は多いらしいが、そちらの知識が皆無なためどのようなものであるかは全くわからなかった。前述の通り、寡黙かつ象徴的に自然を映す作りのため、知識があったとしても汲み取れたかは怪しいが……詳しい人の解説を聞きながら鑑賞してみたい気もしますね。
ただ、フランツの生涯は明確にイエス・キリストになぞらえて描写されている。劇中で画家が「キリスト本人に会ったことがないから、キリストみたいな人をモデルに描く。もっともキリストみたいな人もいないがね」と話すシーンが決定的で、あの瞬間にフランツが後ろ指を指されながらも殉死に向かっていくイエス・キリストの道を歩み始めたのだ。

彼がイエス・キリストになることを選んだ理由はなんなのか、本当に家族を遺して逝くことが正しかったのかなど彼の精神性の真意や行動の是非については映画を観ても理解できない。しかしラストに表示される「現代の歴史とはこうした名もなき生涯の礎の上に立っている」の一文が深く心に突き刺さる。名もなき生涯を終えた男が、こうしてまた映画という媒体で日の目を見ることが出来た事実もまた重い。

物語としてはナチスドイツ占領下の市井の人々の日常ということで『ジョジョ・ラビット』に通じるものがあるが、こちらは詩的かつ長尺なため人に薦めづらくはある。だが、こうした人物も確かにいたということを知ることは大切なことではあるし、このレビューを観て肌に合いそうだなって人は是非観ていただきたい。
オススメ!