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小さな兵隊のLudovicoMedのレビュー・感想・評価

小さな兵隊(1960年製作の映画)
4.0
《追う/追われる、でなく追う/追い回す構図に傾倒してしまったゴダールのスパイ》

注目のデビュー、アンナカリーナの登場という発表はよく分かった。まさかプロポーズに映画一本捧げるとは、流石というか相変わらずというか。

『勝手にしやがれ』路線を引きずって撮ったスパイ映画。それだけに『勝手にしやがれ』の撮影術を継承したような極端に引きの場面や景色を舐め回すショットに時間経過を演出する要領など引き続き楽しめる作劇だ。

主人公は報道カメラマン兼フランスの秘密諜報員兼脱走兵でもあり、暗殺の依頼から当局の疑惑の目線、彼の目の前に現れる絶世の美女と逃亡を図ろうとするも、実はその女は敵対組織の密告者だったシナリオなどスパイ映画の盛り上がり所がふんだんに用意されてる。
しかーし、本作全然ハラハラせず、台本の間合いまで喋るモノローグのオンパレード。状況が状況なだけにジャンピエールメルヴィル映画のようなピリッとした雰囲気であるが、メルヴィルお得意のリスクを背負ってまで追う/追われるサスペンスに特化もされない。例えば任務そっちのけで、密告者と知っていても彼女を尾行する。その後ろで当局が尾行するヒリヒリしたシチュエーションも出来そうだし、肝心の暗殺対象に車で近づく盛り場も追い回す描写になってしまいリスクの提示が弱いので、撃てない躊躇も重みがありません。

そんな風に洗練不足であるが、ストーリーがどう転ぶかわからない風呂敷により、後半は拷問と裏切り、またしても捕まるといった急展開でそれなりに楽しい。
このカラクリはゴダールの狙った試みか、forアンナ映画を最初からやりたかったのか?いずれにせよ、映画という娯楽は如何に簡単な要素で成り立ち、観客が楽しくなるよう仕上がっているか、の検証と思える。人物、状況、感情の吐露、政治的なささやかなポリティカル要素をカメラを向けることで渾然一体となり、それが映画になれてしまう。『勝手にしやがれ』は自主映画的な撮影を自主映画的なシナリオで、偉大な自主映画となった。ならば次はこれ見よがしな自主映画の精神を痛快大衆映画に向けてやってみせた。

といってみても、本作を成立させた一番の要素はアンナカリーナでしょう。とにかく輝いている。
二人っきりの部屋で「カメラというものはだな君、魂まで写し通すのだよ」とアンナのグラビア撮影がスタートする。しかもシャッターを切ってるのはゴダール本人らしく、切り返しでミシェルシュボールがカメラを構える演技してるだけだそうで。
こっちを振り向いてシャッターが切られた瞬間全員MajiでKoiする5秒前だ。「ひと目見たらキスしたくなる」なんてまさしくですな。
ヌードNGで前作は断られたのに、シャワーシーンをお願いしかけて、いや失礼ってくだりも好き。あの性格占いもアンナのマジな反応をみてんじゃね。
てな感じに今回は彼女感の強いアンナカリーナを楽しめる。壁一面の写真を無造作にカメラがなめていきベッドへ降りると寝起きの彼女にタバコを渡すあれは、ゴダールとの結婚生活の一コマになったんかな。

結局、自分なりに楽しめた本作だけど力んで絶対観なきゃならないかと言うと、特に引っ掛かりのない映画だったかね。
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