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犬王のsanshokuのレビュー・感想・評価

犬王(2021年製作の映画)
3.2
華の金曜日、月に一度のファーストデイ、このチャンスを逃すワケにはいかんでしょって、楽しみにしていた金ローの時かけを諦めることを決意。定時後の顔を出すだけの会議に参加し、なんとかギリギリのタイミングで劇場の座席に着席。

エンドロールが最後まで流れ、明るくなった劇場で、「…面白かったよなあ?」という何とも曖昧な感想を抱いた。
「映像」としては良かった。とは思いつつ、「映画」としては?という疑問が残る。
話のキモとなる、ミュージカルシーンは、良くも悪くも「ライブ映像をそのまま表現しました」みたいな仕上がりで、使い回しの様なループが延々と続く。動いているのに動きがない、と感じてしまう。正直アヴちゃんが歌っていなければこの辺りは観てられなかった。
これに関して良いふうに解釈してみて、観る人が歌詞に集中できるように、という配慮からくる演出であったかもしれないと考えてみても、今回は歌詞字幕付き上映で観たため、そこに対する効果は薄かったような気がする。
そもそも歌詞だけで話を進めるのであれば、映画である必要があるのかどうか、、、という考えすら浮かんでしまう。

実のところ、この映画を観るにあたって「女王蜂のアヴちゃんが声優をやるらしい!」「なんか面白そう!」という、いつか観た予告で得た前情報ぐらいしか持ち合わせてなく、最後まで観てようやく、かの犬王であればこれくらいのことをやったであろうという、壮大なイマジネーション的映画だと気付き、そこではじめて腑に落ちた部分がある。

とはいうものの、それでもふわっとしたモヤリ感は拭えない。
表現として、想像として、新しいことをしているようでなんとなく古めかしいような、この映画を今を生きる現代人の視点に立って観るべきなのか、600年前の人々の視点に立って観るべきなのなか思考が混雑する。
仮に600年前の人々の視点に立って観るとして、であるならば、600年前の人々の高揚感を表現するのに、エレキギターが本当に必要だったのだろうか。現代的な音が必ずしも必要だったのだろうか。映像から見て取れる太鼓と琵琶と歌声だけで、当時のこうであったであろうバイブスを表現することはできなかったのだろうか。分かりやすさを優先したために、かえって分かり難くなっているような、そんな違和感を覚えた。
一度きりだと言っているに、劇中の観客たちが合唱していたりと、なかなかに細かいところを気にしないぶっ飛び加減も違和感を覚える要因の一つになってしまったのかもしれない。

この映画を何か知っている、自分の中にある感覚に例えるならば、「フェスで偶然見つけた、なんかすごいけど全然知らないから、いまいちノリ切れないバンドのライブ」みたいな感覚に近い映画だった気がする。
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