むぅ

犬王のむぅのレビュー・感想・評価

犬王(2021年製作の映画)
4.1
全員にフラれて諸行無常。

『鎌倉殿の13人』が終わってしまって寂しいので、思いの丈を由比ヶ浜で叫んでこよっかな、一緒にどう?と職場で勧誘していたら、それはもう引き潮のように皆さん去って行った。
「鎌倉時代の映画とか観ればいいじゃないスか」
「お!それだ!」
「ちなみに何て叫ぶんスか?」
「[御恩と奉公]でしょ!」
「いつもそんな事考えてんスか?」
「呪うよ?」


鎌倉時代ではなく室町時代の物語

京の都。
猿楽の一座に生まれた異形の子、犬王。その顔は瓢箪の面で隠された。ある日、犬王は平家の呪いで盲目になった琵琶法師の少年・友魚と出会う。
名よりも先に、歌と舞を交わす二人。友魚がかき鳴らす琵琶で踊る犬王。そこから始まる"語られなかった"2人の物語。
語られなかった2人が語る、語られなかった平家物語。


好きな音楽やアーティストが同じだと知った途端、ぐっと距離が縮まる経験をした事がある人は多いのではと思う。
600年前、橋の上で出会った2人は現代を生きる私たちが感じるよりも魂が強く惹かれ合ったのでは。
けれども、今作の最大の魅力の一つであろう点は、今私たちが"新しい"と感じるカルチャーや表現方法は、語られてこなかったり消えてしまっただけで、古の時代にも存在したのではと投げかけてくること。もしかしたら、大昔に私たちが震えるリズムで震えた人がいたのかもしれない。

2人の出会いや繰り広げられるパフォーマンスが"橋"で行われるというのが、また良い。
この世ともう一つの世界を繋ぐとされる"橋"。
2人の魂の叫びで別世界へ連れて行ってくれる"橋"、語られなかった事でこの世への未練を残す魂たちが集まってくる"橋"。
物語の始まりにも終わりにもなる"橋"。

犬王と友魚が繰り広げる"新しい"平家物語を、元からある平家物語を正典とし、それだけで良いと統一しようとする権力として足利義満が描かれる。
金閣寺とか作ったくせに器の小さいやっちゃと思ったところで気付く。
足利家は源氏の名門、北条政子の妹を妻に迎えた足利家の先祖の1人の足利義兼は『鎌倉殿の13人』では描かれなかった。
誰を語るか、誰が語るかで物語は変わるのだ。

表現方法が変わっても魂は変わらないと考えているであろう犬王と、その表現方法でないと魂を叫べないとする友魚、どちらからも強さと脆さを感じた。

「奪われて失われた私達の物語」

あらゆる物語には続きがある。
その続きを描こうとした物語。
広がれ、続け、どんな物語も。

おそらく私は今作と抜群に相性が良い。そんな出会いだった。


観る前に犬王について調べていたら、彼がこの世を去った日と私がこの世に生まれた日が同じだった。そんな所にも物語を感じてしまう。
もちろん冗談だったが由比ヶ浜に叫びに行けば、私にとっての犬王や友魚と出会えるのかもしれない。失うことで得る物語もあるのだろう。





【犬王】
南北朝〜室町期の能役者、能作者。同時代を生きた観阿弥、世阿弥の親子と同様に三代将軍足利義満の愛顧を受けた。
数々の名曲を書いたらしいが、作品はいっさい現存していない。
むぅ

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