いの

ホドロフスキーのサイコマジックのいののレビュー・感想・評価

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ちなみに私はホドロフスキー爺が大好きだ。そんなにたくさん観ているワケじゃないけど。圧倒的なエネルギー。途方もないほどの存在感。ぶっ飛んでるけど、地に足をつけて立っている(あの大木のように)。めっちゃ親しみやすい。そして、ホド爺はお茶目。観てるとちょっと笑っちゃう(←コレ、重要)。私は爺に釘付けだ。人からみたらどうってことねぇコトでくよくよする私は、爺に「それがどうした!」と喝を入れてもらうことで、どうにか毎日を生きている(そうゆうつもりで私は、いる)。


今作を観て、爺がつくってきた映画は、映画という範疇におさまるものではなくて、サイコマジックの実践だったことがわかった。


誕生からここまで。
家族から受けてきた傷によって苦しんできた者。自身の檻のなかで、閉塞した状況のなかで、ずっと辛い思いをしてきた者。自分には何かが欠けていると、深い喪失感のなかで、うつむいている者。つまりは、今を生きる私たちに対して。ホド爺は、その睾丸を、その月経を、わしづかみにする。いちばん大事なところをぎゅーっと、つかんでくる。ぎゅーっとされて、ありったけを込めて抱擁されて、誕生からここまでを、やり直す。


爺にそうされることによって、自分自身を取り囲んでいた四方の壁が、なくなっていく。あらっ、壁が消えちゃった。あらっ、檻がなくなっちゃった。あらっ、広い空間に私、立ってるし。爺と手をつないでるし。
癒され、解放され、新しい地平へと。わーはっはっはっ→ 笑顔、誕生!


ヘンだと(たしかにヘンだw)、ペテンだと、ペニスマジックだと、変態だと・いかがわしいと、そう言うこともできよう。たしかにそうかもね。でも、私は爺から、ありったけを込めてのムギューをされてみたい。自分のなかにあるやっかいなものがどう変わるのか、自分のなかに新しい何が生じるのか、みてみたい。疑うよりも好奇心がまさっちゃう!笑


ソーシャル・ディスタンスとかが声高に、いかにもの正義で語られる今こそ、このバリバリ濃厚接触MAXの映画を観る意味が、私にはある。映像を見つめながら体感するのだ。私自身にもきっとあるはずの想像力をフルに使って、映像のなかへ飛び込むのだ。それは、他では得難い体験だ。


爺、長生きしてくだされ!!!
いの

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