ホドロフスキーのサイコマジックの作品情報・感想・評価

ホドロフスキーのサイコマジック2019年製作の映画)

Psychomagie, un art pour guérir

上映日:2020年05月22日

製作国:

上映時間:104分

あらすじ

「ホドロフスキーのサイコマジック」に投稿された感想・評価

こいけ

こいけの感想・評価

4.6
信仰の先にある救済。思いは身体を超える。ホド爺のそんなちからを信じようって気持ちにさせてくる。
pherim

pherimの感想・評価

4.1
 ホドロフスキー独自の行動療法ドキュメンタリーながら、ホドロフスキー過去作群の演出解説でもあるという一粒で二度おいしい系作品。

 「人生に意味はない。人生は生きるものだ。生きろ!」とか、「意味なんかわからなくていい。無意識に働きかける、それがサイコマジック。サイコマジックとは行動だ!」、相談者の睾丸を握って「ここが世紀の活力の源だ!」などアレハンドロ翁の咆哮が連発され、まことに胸熱。

 癌転移を繰り返してきた女性が、ホドロフスキー主導で劇場の観客たちからパワーを受けとる「実験」から10年たって語る、「あのあと医者の言葉を超越する力が、自分の内から湧き出てきた」というあたりは、オカルトといえばオカルトだけどオカルトが効いちゃうひとがいるのはまあ事実だろうし、だから人間は面白いなど思う。

 あと、「Fatiguée! Fatiguée! Fatiguée! (人生に疲れた!疲れた!疲れた!) わたし本当に悪いことをすべきだわ。たとえば殺人みたいなことをすれば、自分がすこしはわかる気がする」みたいなところまで追い詰められてる悲観しまくり鬱おばあさんに対して、「人類は銀河の意志なんだ」と銀河視点に立って人類に対する祭司たることを要請するホドロフスキーこらヤバいわと、このシーンもちょっと感服。

 原色キツすぎ、力あふれすぎで、相当元気なときにしか観る気になれず、ホドロフスキー映画は新作や特集上映時も実はパスすることが多かった。本作観て、ようやく過去作通して観たいと初めて思えたなり。
なつこ

なつこの感想・評価

3.8
じつは結構楽しみにしてた 結局サイコマジックのことはよく分からなかったけど 分かってたまるか という感じ、セラピー受けたあとの人の目がみんなキマりすぎてて怖いのは 深入りしないのがちょうど良いっていう証です ?
na

naの感想・評価

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トリエンナーレにて鑑賞。
今まで意味不明だったホドロフスキーの映像たちが、この治療法?からきているのだとやっとわかった。なんにも分かってはないのだけど。
なにをもってして芸術なのか、そのわからなさにすがったりしてしまう不毛さなのか、、、なんなのか〜
あいちトリエンナーレで鑑賞。
紙一重の宗教性があった。頼むから、山頂で「これは映画だ!」って最後に言って欲しい。

このレビューはネタバレを含みます

ホドロフスキーが30年にわたって行っている相談者の個人的な悩みに、アートな行動によって己を解放し救済を求める独自の精神セラピー「サイコマジック」。それのいくつかのケースを実践する様子をカメラに収めたドキュメンタリー。

ホドロフスキーが映画の中でやっている一見するとぶっ飛んだ表現の一つ一つが彼の中ではハッキリとした理論に基づいて表出しているのがわかる。

日常生活にほんの少し非日常要素を加えるだけで、そこがクリエイティブな空間になるだけでなく、やっている本人にとって己を開放しトラウマを塗り替える体験となっている様は見ている者にも強く訴えるものがあるアート作品になりうる。

タロットカードに始まり、心理学や精神分析などあらゆる学問と芸術を学んだホドロフスキーでしかできない療法は、見ようによってはカルト的だが、個人的には演劇のワークショップの発展版のようにも受け取れる。メキシコで行われる死者の日のメイクや装飾も影響があったりするのかな。

名古屋市美術館の展示ブースでは、実際に治療を受けた人々から監督宛に送られるセラピーのプロセスが綴られた手紙が壁一面に貼られており、直筆から伝わる熱量を直に感じられた。そしてもう一つ劇場を借りて観客に向けてホドロフスキーが行った公開セラピーの一部を映像で見た。こちらはよりワークショップに近く観客の一体感をエンタメ的に演出していた。

ホドロフスキーの理解がより深まる入門編のような作品でありました、今までの劇映画の答え合わせなような作品であった。

劇中で紹介されたケースでは、女性の月経の血で自画像を描くパフォーマンスが一番印象に残った。
「精神分析は言葉だが、サイコマジックは行動だ」

色々問題のあった愛知トリエンナーレにて鑑賞。

ホドロフスキーが生み出した癒しのセラピー"サイコマジック"を自ら患者に施す様子を映したドキュメンタリー。過去作の映像を引き合いに出し、彼の映画表現は常にサイコマジックに基づいていたことを証明する。
「リアリティのダンス」で闇を怖がる少年を真っ黒に染めて闇と同化させるシーン、「エンドレスポエトリー」で「愛を与えないことで、愛の大切さを教えてくれた」と父を許すシーンなどもそれらしい。

科学に基づき、会話を基本としたフロイトの精神分析に対して、サイコマジックは行動を基本とした芸術であると定義している。タロットを用いて、未来ではなく現在についての理解を深め、癒す。そこに論理的なものは一切ないからサイコマジック処方後の患者の癒された顔を見て信じるしかない。それらは胡散臭いものばかり。例えば、自分の話を聞かない父、母、姉によって傷付いたとある男性の心を癒すため、彼らの顔写真が貼られた巨大かぼちゃをハンマーで割って、さらにその破片を彼らのもとに送りつけるというものがある。送りつけた後にスッキリしました!という男のコメントで会場は失笑が起きてた。後半、がん患者の女性に会場の人が両方の掌を向けてパワーを送り、10年後も元気でしたよ!という"ソーシャルサイコマジック"のシーンも本当かよ!と笑ってしまった。

その他、「女性は月経の血で自画像を描いて下さい」や「あなたの睾丸を握ります」など名言も沢山。

でもそんな非理論的なシーンばかりなのに、癒された人々の顔は演技だなんて疑うことのできないほど晴れ晴れとしたものであり、これを見ると自分自身も癒された気持ちになった。鬱病になった80代の女性を癒すシーンが一番印象的。

監督は大分お年を召していたけど相変わらずパワフル。芸術や想像力によって破壊や分断を癒そうとするホドロフスキーの魔法は今の世の中に必要なのだと思わされる。
umeko

umekoの感想・評価

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クラウドファンディングの参加は出来なかったけれど去年からめちゃくちゃ楽しみにしていたホドロフスキーの新作をトリエンナーレ映像プログラムにて

(これはレビューでもなんでもなくて
アレハンドロ・ホドロフスキーへのラヴレター)

殻を破り、皮膚を剥ぎ捨て“わたし”という無意識の裸を昇華していくことで自我を解き放つ、ホドロフスキーが考案した癒しの処方箋『サイコマジック』

家族も、過去の取り巻く環境も、哀しみや苦痛も全て手放して、空に伸ばした両手で自分の中のひかりを集め、そして自分を思いっきり抱き締める
この行為はシンプルでいて、とても難しい

自我の解放というのは、周囲がぎょっとするほど凄まじく、滑稽なのだと思う
(私は解放というより破壊という言葉がしっくりくる)
けれどもその先に捉えるのは“わたし”という“存在の肯定”があり、同時にどれだけ自分自身で勝手に制圧した世界で生きているのかも気づかされる。

このドキュメンタリーは映画監督ではないホドロフスキーの一面も見れる作品だと思っていたけれど、
彼が創り上げてきた過去作自体がサイコマジックであり、全てが地続きにあるのだと、とても綺麗に腑に落ちました

重度の鬱を患う女性への処方では、
世界を通じて自身に“贈与”するという行為の優しさは過去の作品を想起させるし、
癌患者の治療の光景は、私の中でオカルト危険信号点滅しまくりなのだけど、
あの処方が成果を出したかは置いておいて、その後の穏やかな患者の表情を観てしまうと
ドラゴンボールの元気玉もあながち絵空事ではない気もするし、むしろ可能性を秘めてるのでは…なんて思ったり

ある友人が、宗教(=信じること)と哲学(=疑うこと)は相反するものだと言っていたけれど、
ホドロフスキーの作品や彼が見出した精神には、その2つが存在しているように思う。
いや、そのどちらにも属さずアレハンドロ・ホドロフスキズムを確立してるかな…?


どちらにせよ
ド級にクレイジーで、それでいてしなやかなで、生気溢れる精神の持ち主である彼の理解を深めることが出来るとても面白い作品でした
(実際吹き出すぐらい面白いしクレイジー過ぎてこちらが嬉しくなる)

改めて『リアリティのダンス』や『エンドレス・ポエトリー』を介して
サイコマジックという生への優しい抱擁を私たちに与えてくれたホドロフスキーにメルシー!グラシアス!って叫びたいし、めちゃくちゃ大好きだと伝えたい!


時間の概念すらも破壊してホドロフスキーは私たちに謳い続ける

よろこびを!
よろこびを!
よろこびを!



《これから観る方へ》
この映画自体は9/23をもって来年公開までは最後でしたが、名古屋市美術館でも同時に展示されているサイコマジックのセラピーを受けた患者が行った治療のその後ホドロフスキーに宛てた手紙(ホーリーマウンテン垣間見る)と治療映像の一幕等、トリエンナーレ期間中見れるので、時間がある方は来年公開までに見ておくのもおすすめです。
ちょっとついていけない。
あいちトリエンナーレでの展示(クライアントたちからの感謝の手紙の数々)も見たんだけど、「本人たちが幸せだって言ってるんだから外野がどうこう言うべきではない」「実際に救われている人もいる」…うーん、まあそうなんだよなー。
ただ、ほとんどが「家族」「血筋」の問題に帰着されてしまいがちなのが嫌なだけだな。とくに、帝王切開で生まれたことと、子ども本人の苦悩とは、何の関係も無いだろう。
表現の不自由展問題ではからずも話題になった"あいちトリエンナーレ"。

本作目当てで入場するも、劇場スペースでは整理券配布済み、入場不可とのこと。
受付で交渉し返金して戴き無事退場。

うーん。
段取り。
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