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1917 命をかけた伝令のneroのレビュー・感想・評価

1917 命をかけた伝令(2019年製作の映画)
4.0
話題のアカデミー受賞作品。鑑賞前は、映像実験としては意味があるのかもしれないが、映画の仕上がりとして効果的かというと微妙だ、と思っていた。

実際、常に動き続けるカメラの映像はひどく疲れるし、近接アングルが多いためもあって圧迫感が大きい。その上腐った死体ばっかり目に入ってくるんじゃあゲンナリするのもしょうがなかろうよ。ずっと一人(途中まで2人)の行動を追い続けるため、ストーリー面での広がりも当然ながらあまり感じられない。
そもそも、敵陣とわかって伝令走らせるより、航空隊に連絡して通信筒でも落とさせれば終わりじゃないの? 敵の制空圏とはいえ、少なくとも保険は掛けるよねえ。
と、いちゃもんはここまで。

舞台はWW1真っ只中の西部戦線1917年4月6日。描かれるのは最前線まで命令書を届ける特命を受けたふたりが敵中突破して任務を果たすまで。あまりにもシンプルなそのプロットと、ねちっこいほど濃密な画作りのギャップに翻弄される。その緊張感のためか体感時間は5割増し。
エピソードを積み重ねて描き出される、戦場というマクロと一人の青年の心情というミクロの対比に、確かに心揺さぶられた。特に後半の単独行の苛烈さには言葉が出ない。真っ黒な水面に舞い散る花弁が美しい。

あまりの苛烈さに、なぜ彼は進むのか?という疑問が拭えなかった。冒頭では、彼は決して責任感の強い兵士として描かれてはいない。
 
苦難の末に到達した前線の塹壕で交わされる、(カンバーバッチ)大佐との会話で、なにかストンと腑に落ちた。
聞き漏らしていなければ、彼の名はここまでスコフィールドあるいはスコとしか表されない。ここに至ってファーストネームがWilliamであることが初めて明かされる。だからこそ、ブレイクを看取るときに「I will(約束する)」と告げ、指揮官に対してわざわざ「I Will」という省略形で名前を答えたのは、そこにブレイクの意志/遺志(will)であることを込めたのではないのか? 
単なる軍用タームかもしれないし、所詮ネイティブではない日本人がそんなニュアンスを求めるのは穿ち過ぎなのかもしれない。でも、「家に帰りたくない」「任務を放棄したい」と願っていたスコフィールド上等兵が、敵刃に倒れた”友人”の思いに応える意思を固めた理由がそこに込められているように感じた。

それを表すエピソードがふたつ挿入される。ひとつは赤ん坊を保護した女のと出会い。
そして、林で小休止していたD中隊との出会いだ。ひとりの兵士がアカペラで歌うのは「Wayfaring stranger(彷徨える人)」。なにか聞き覚えがあって調べると、アメリカの古い宗教歌で、バエズやピート・シーガーを始め、フォーク、カントリー、ポップスを問わず多くのシンガーが歌っている超定番トラディショナル曲だ。「ヨルダン川をこえて故郷へ」という歌詞が繰り返される。望郷とか安らぎの地への思いを歌いあげているのだろうか。日本の「ふるさと」などに近いのかもしれない。あるいはキリスト教的彼岸なのかもしれないが、クリスチャンならぬ身には難しい。

そんなもやもやが落着したのはラストカット。スコフィールドはひとり木にもたれて写真を取り上げ、家族への思いを再確認する。あの赤ん坊を抱いた女の想いも、ブレイクの兄の想いも、すべてがここに収斂する。
「試練を超えて家へ帰ろう」

死がすぐ側にある戦場をまさにその中から描きながら、描写されるのはひとりの心優しい青年の心情。書き出しで否定的に書いたが、彼スコフィールドから観客の目を逸らさせないという意図では、確かにこの映画はこの超長回しで制作される必然があったのだと納得させられた。
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